あったのを思いだしたが、あれよりも、ギゴチない。そこが人間のユエンかも知れん。
この写真を見た同じ日、友人が北斎の猥画をもって見せにきた。一しょに歌麿を五冊見せてくれたが、歌麿があたりまえの猥画にすぎないのに比べると、北斎には絵の鬼の凄味がある。人体を描いたアゲクが、そこまで描かずにいられなかった鬼気をはらんだものである。猥画ではなく、人間を描いた絵画であり、絶望感に色どられていた。
北斎は交合を描いて猥感を拒否しているが、これは作者の魂の深さと、趣味教養によるものであろう。チークダンスは、ダンスを踊って交合の低さとワイセツでしかない。蛙のそれよりも、スマートさに於てやゝ劣るところがあるだけである。
密室でやることを、人前でやってるという性質のものだ。政府はさきごろ軽犯罪法なるものをつくって、こういうことを取締る量見であるが、密室でやってることなら、人前でやっても仕方がなかろう。密室の生活がワイセツの低さでしかないせいだ。
つまり我々の多くが、男女関係というと、チークダンスのようなことにしか主点がない。夫婦関係の幅も高さもそれぐらいのものにすぎないのだ。表向きは亭主関白とオサン
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