強盗にやられた家へ警官がとびこんだ。犯人を追っかけ廻して時間がかゝったために、助かるべき被害者の手当がおくれて死んだことがあり、この警官が、被害者を殺したよりも犯人を逃したことを残念がっていたという記事があった。この警察の在り方についても輿論の反響はなかったようだ。
 帝銀事件の犯人のタイホがおくれてもかまわぬ。民主警察の確立、岡ッ引根性の絶滅の方がどれだけ重大だか計り知れない。

     ストその他

 私の四囲の小資本の出版業者などでは、編輯者の給料が千八百円を下まわるようなところまである。あんまり気の毒で、せめて三千円ぐらいなけや生活できないからと私が社長にかけあってやったこともあった。
 こんな小会社では争議を起せばクビになるばかりだから、争議も起されぬ。これは気の毒なことである。
 反対に、全逓《ぜんてい》などというところは、ストが有力な武器になる。そこでストをやる。問題は、この連中がもしストが武器にならずクビになるだけなら、ストはやらないということだ。当然の要求もできないというのも良くないことだし、ストを武器に便乗するというのもよろしくない。
 大切なことは、主観的ではいかぬ、自分の立場を客観的に考えて見なければならぬ、ということだ。
 問題は、要求と、労資双方の折合う場との客観的な妥当性にあるのだから、ストは絶体絶命の最後のもので、調停が中心問題だ。調停裁判というような国家的に構成された大組織も必要であるが、労資双方の立場に客観的な考察を払うことが必要で、現在のストに欠けるものはこれであり、主観一方に盲動しているとしか思われない。
 ストを武器にすることは、最後の最後のものである。小資本の会社では、ストをやるとクビになる。クビになってもやる。これは絶体絶命の時だ。ストを武器にする時も、それと同じ絶体絶命のものでなければならない。
 現実の世相に最も欠けているものは、自己を客観的に考察することの不足である。自己をも現実の種々相をも、またその関係をも、客観的に、また、唯物的に見ることの欠除である。みんなが、無自覚、無批判に我利々々でありすぎる。
 特に集団的にそうなり易いもので、ストの性格がそうである。反面には、官僚、為政者の在り方自体がそうで、買い手のないタバコを押しつけて、威張りかえって、イヤならよせという、まさしくファッショそのものの堕落タイハイの
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