や女優さん方の舞台などは見る気がなくて、もっぱら地の色ッポサを相手に楽屋の方へお酒をのみに通うということになる。
 これが又、面白いところで、幹部女優となると、ひどく気位が高くなって、お弟子の女優の卵が姫君につかえる腰元よりももっと恭々しく奉仕しているから、笑わせるのである。横のものをタテにもせず、身の廻りの何から何まで、弟子にやらせて、アゴで使っているのが、まことに酒の肴に面白くて仕方がない。役者の世界ぐらい封建的なところはない。浅草にして、そうなのである。
 私は浅草へでかけると、もっぱら淀橋太郎をひっぱりだして、一しょに飲む。むかしは軽演劇の脚本家だが、ちかごろは立身出世して、興行師だそうで、ちゃんと甲斐性ある女房も貰い、実業家ともなれば、朝も早朝よりお目々をさまして、私が先日八時ごろ門を叩いたら、ちゃんと目を覚していた、というグアイである。
 浅草の飲み屋にいると、興行師とか、一座を組織してドサ廻りにでようとか、そういう相談をしている何組かゞ隣席にいて、これが面白いものである。
 漫才だか浪花節だか、和服姿の芸人が、レビュウ子らしい姐さんを口説いている。九州は長崎の五島というところへ、興行に誘っているのである。
 長崎から船でちょッとで、目下景色のよろしい土地だからと、口説いている。レビュウの姐さんは、長崎も五島も、てんで日本地図は御存知ない様子で、そんなことなんでもないや、と気にとめるところがミジンもないから、面白い。
 私も四五年前、切支丹《キリシタン》のことを調べに五島へ旅行した。長崎から船で相当ありますよ。第一、私の歩いたところは、旅館などというものすらも、一軒もなかった。
 タロちゃん(淀橋太郎)なども、興行師だから、私と飲んでいるうちにも、目の玉のギロリと見るからに一癖ある大人物の浪花節やら、漫才やらそんなのが膝すりよせてヒソヒソと何か打合せに来たり、可愛いゝ踊子さんが役を頼みにきたり、そこで私は大喜びで、
「ちょッと/\」
 大慌てに、あなたは帰っちゃいけません、先ず、飲みましょう、とオシャクをして貰う。これが浅草のよいところで、一パイ飲みましょう、とたのんで、イヤだなどゝ云う人は、昔から一人として居たタメシがなかったのである。まことにツキアイがよい。こゝが浅草の身上である。その代り、酔っ払って、口説いて、ウンと云ってくれた麗人は一人もいなかっ
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