には、よほど重大な原因があつたのだらう。私の生れた時は難産で、私が死ぬか、母が死ぬかの騒ぎだつたと母の口からよくきいたが、それが原因の一つだらうか。原因はなんでもいいさ。私を大阪の商人に養子にやると母が憎々しげに嘘をついて私をからかつたときのこと、私がまにうけて本気に喜んでしまつたので、母が流石にまごついた喜劇もある。それから、実は私が継子で、私のほんとの母親は長崎にゐると嘘を語つて、母は私をからかうことが好きだつたが、その話の嘘らしいのが私に甚だ悲しかつた。私は七つ八つから庭の片隅の物陰へひとりひそんで、見も知らぬふるさと長崎の夢を見るのが愉しかつた。
 私の子供の頃の新潟の海では、二|尋《ひろ》ばかりの深さの沖へ泳ぎでて水へくぐると、砂の上に大きな蛤の並んでゐるのを拾ふことができたものだ。私は泳ぎがうまく、蛤や浅利を拾ふ名手であつた。十二三の頃の話だ。夏も終りに近い荒天の日で、町にゐても海鳴りのなりつづく暗澹たる黄昏時のことであつたが、突然母が私を呼んで、貝が食べたいから海へ行つてとつてきてくれと命じた、あるひはからかつたのだ。からかひ半分の気味が癪で、そんならいつそほんとに貝をと
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