には、よほど重大な原因があつたのだらう。私の生れた時は難産で、私が死ぬか、母が死ぬかの騒ぎだつたと母の口からよくきいたが、それが原因の一つだらうか。原因はなんでもいいさ。私を大阪の商人に養子にやると母が憎々しげに嘘をついて私をからかつたときのこと、私がまにうけて本気に喜んでしまつたので、母が流石にまごついた喜劇もある。それから、実は私が継子で、私のほんとの母親は長崎にゐると嘘を語つて、母は私をからかうことが好きだつたが、その話の嘘らしいのが私に甚だ悲しかつた。私は七つ八つから庭の片隅の物陰へひとりひそんで、見も知らぬふるさと長崎の夢を見るのが愉しかつた。
 私の子供の頃の新潟の海では、二|尋《ひろ》ばかりの深さの沖へ泳ぎでて水へくぐると、砂の上に大きな蛤の並んでゐるのを拾ふことができたものだ。私は泳ぎがうまく、蛤や浅利を拾ふ名手であつた。十二三の頃の話だ。夏も終りに近い荒天の日で、町にゐても海鳴りのなりつづく暗澹たる黄昏時のことであつたが、突然母が私を呼んで、貝が食べたいから海へ行つてとつてきてくれと命じた、あるひはからかつたのだ。からかひ半分の気味が癪で、そんならいつそほんとに貝をとつてきて顔の前に投げつけてやらうと私は憤つて海へ行つた。暗い荒れた海、人のゐない単調な浜、降りだしさうな低い空や暮れかかる薄明の中にふと気がついて、お天気のいい白昼の海ですら時々妖怪じみた恐怖を覚える臆病者の私は、一時はたしかに悲しかつたが、やがて激しい憤りから殆んど恐怖も知らなかつた。浪にまかれてあへぎながら、必死に貝を探すことが恰も復讐するやうに愉しかつたよ。とつぷり夜が落ちてから漸く家へ戻つてきて、重い貝の包みを無言でズシリと三和土《たたき》の上へ投げだしたのを覚えてゐる。その時、私がほんとは類ひ稀れな親孝行で誰れにも負けない綺麗な愛をかくしてゐると泣きだした女が一人あつたな。腹違ひの姉だつた。親孝行は当らないが、この人は、私の兄姉の中で私の悲しさのたつた一人の理解者だつたが。……
 さて、こんな風な母と私だ。
 ところが私の好きな女が、近頃になつてふと気がつくと、みんな母に似てるぢやないか! 性格がさうだ。時々物腰まで似てゐたりする。――これを私はなんと解いたらいいのだらう!
 私は復讐なんかしてゐるんぢやない。それに、母に似た恋人達は私をいぢめはしなかつた。私は彼女らに、その
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