此奴《こいつ》はモグリだと思つた。三十二哩を十六時間で泳げる筈がないではないか。一時間に二哩だ。彼はそれを明《あきらか》に見送りの人々に言つた。素人をだますのもいゝ加減にするがいゝ。自由型競泳にクロールで千六百|米《メートル》(一哩)だけ全速で泳いでも世界記録で二十分以上、大学の一流選手でも二十二三分で泳いでゐる始末だ。私が中学一年のとき、佐渡出身の斎藤兼吉といふ人が始めてオリンピックの水泳に自由型へ出場して片抜手で泳いだ。このときハワイのカハナモクのクロールに惨敗し、クロールといふバタ足の異様な泳ぎを習ひ覚えて日本へ持ち帰つて伝へたので、私達はこの先生からコーチしてもらつてゐたから、日本古来の泳法は速力の点で問題にならぬことを知つてゐた。まして平泳ときては論外で、一哩だけ切り離して全速で泳いだつて世界一の選手でも三十分では危いだらう。三十二哩を十六時間とは出来ない相談で、もし本人がそれを信じてゐるとすれば益々自分の力量を知らない食はせ者だ。
果せる哉、この男は途中十二哩佐渡行の汽船にのり、どういふ量見だか佐渡の手前で又海へとびこんで夕方七時に両津へついた。二十哩しか泳いでをらぬ。途中十二哩も汽船に乗つて、それで尚、十六時間半かゝつているのである。そして彼の曰く、新潟佐渡間は潮流が意外に激しく思ふやうに進まなかつたのだ、と。
私は村山臥龍先生を尊敬してゐるのである。先生はモータアボートどころか小舟のお供もつれてをらぬので、いつたん佐渡まで泳ぎつき、又、泳いで戻らうといふのが愉快ぢやないか。我々にとつて水泳は遊びだけれども、水泳家の先生には職業であり、わが魂魄を打ちこみさゝげた術であり、だから私は、先生が佐渡から戻る途中で永遠に消息を絶つたといふのが、なんとも朗かで、大好きなのだ。たぶん夜であつたらう。私はさう思ふ。夜にかゝらずに泳ぐことはできない。たぶん鱶《ふか》に襲はれたのだらう、と私は思ふ。悔ゆることはない。私は新潟の浜辺から佐渡を眺めて先生のことを思ふのが愉しい。
私が新潟にゐる期間、もう秋になつてから、檀一雄がやつてきた。ちやうど大詔奉戴日《たいしようほうたいび》といふ禁酒の日だから仕方がない、こゝならいつでも酒があるといふ親類の病院で酒を強奪して、海へ行き、無理矢理浜の茶屋へあがつて酒は悪いがブドウ酒ならよからうとブドウ酒もだしてもらつて酒をのんだ。
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