ふけれども、何と云つても戦争本来の性格は殺したり殺されたりすることなので、敵と味方が突貫! といつてぶつかつて、そこでヤアといつて握手したなどゝいふことは決してない。私が如何やうに胸のうちに敵を愛してゐたところで、向ふのトーチカの先様に通じる由はないのだから、どつちの方角から迫撃砲だの機銃だの重砲だの乃至は飛行機の爆弾だの、何が来て、いつ成仏するか分らない。だから、絶対に死なゝい工夫といふのは有り得ないので、なるべく死なゝい工夫。
機械力、これはマア仕方がない。これを差引くと、戦争はやゝスポーツに似てくる。急場々々に敏活な運動性、肉体の反応によつて、逃げたり、穴ボコへ飛びこんだり、これによつていくらか命をもたせることができる。私がかう考へたのは、私は元来スポーツマンで運動神経が発達してゐるから、肉体の敏活なる反応が訓練によつて非常に大きな差を表すことを熟知してゐるからであつた。才能もあるが、又、訓練だ。尤もオリムピック棒高飛の大江選手がフィリッピンの上陸で人のあんまり死なゝいうちから真ッ先に死んでゐるので、だから「絶対に死なゝい」工夫は有り得ない。
昭和十七年、十八年、この二年間、私は六月末から十月始めまで、三ヶ月半も郷里の新潟市へ行つた。私は殆ど帰郷したことがないのだが、なぜこの年に帰郷したかといふと、名目は長篇小説を書きあげるため、といふのだ。南の海に面した東京よりは北の海に面した新潟が涼しさうだから、誰しも一夏新潟で長篇を書くなどゝ称すると本当だと思ふ。そこで出版元の大観堂まで印税を前渡しによこしたが、実際は、新潟の夏ときたら、ひどい暑さだ。東京よりも遥に暑い。気温は低くても感じる暑さがひどいので、湿度が高いのかも知れぬ、それに風がない、特に夜は風が落ちるので、夜と昼の暑さが同じで、夜明けの二時頃からやうやく眠れる涼しさになるのである。東京では日中も裸なら汗のでる日はめつたにないが、新潟では裸でも汗が流れでゝ、それが夜でもさうなのである。だから、仕事などはできる筈はない。私は元々仕事をする気持はなかつた。などゝいふと、いかにも本屋をだまくらがした悪玉のやうだが、万が一にも気がむいて書くことができれば有り難いといふ空頼みの気持はあつたので、大戦争といふ雲の下では万が一でもあればよろしいものだと御承知願ふことにする。
私は新潟の海で猛訓練をするつもりであつた
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