わが工夫せるオジヤ
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)生《き》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の|丸焙り《ロチ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]
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 私は今から二ヶ月ほど前に胃から黒い血をはいた。時しも天下は追放解除旋風で多量のアルコールが旋風のエネルギーと化しつつあった時で、私はその旋風には深い関係はなかったが、新聞小説を書きあげて、その解放によって若干の小旋風と化する喜びにひたった。その結果が、人間に幾つもあるわけではない胃を酷使したことになったのである。
 私は子供の時から胃が弱い。長じて酒をのむに及んで、胃弱のせいで、むしろ健康を維持することができたのかも知れない。なぜかというと、深酒すると、必ず吐く。ある限度以上には飲めなくなるから、自然のブレーキにめぐまれ、持ち前の耽溺性を自然防衛してもらったという結果になっているらしい。
 今度血を吐いたのは、深酒というよりも、ウイスキーをストレートで飲む習慣が夏からつづいて、その結果であったと思う。強い酒をストレートで飲むのは、胃壁をいためる第一の兇器と知るべし。直後に水を飲み飲みしても役に立たない。水の到着以前に生《き》のウイスキーが胃壁に衝突しているから。飲用以前に、タンサンか水で割るべきである。同じことのようでも手順が前後すれば何事につけてもダメなものだ。
 血を吐いたのは三度目で、そう驚きもしなかったが、少し胃を大切にしようと思った。酒に比べると煙草の方がもっと胃に悪い。しかし、煙草も酒もやめられない。酒は催眠薬にくらべると、よほど健康なものだ。催眠薬というものは、寝てしまうと分らぬけれども、起きていると、酒と同様に、あるいは酒以上に、酩酊するということが分るのである。のみならず、アルコール中毒は却々《なかなか》起らないが、催眠薬中毒はすぐ起る。そして、それは狂人と同じものだ。幻視も幻聴も起るのである。私は疑っているのだ。神経衰弱の結果、妄想に悩んだり、自殺したりすると云われているのは、たまたま軽微の不眠に対して催眠薬を常用するようになり、益々神経衰弱
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