の切支丹のふるさとであつた。切支丹の荒武者達は胸にマリヤの絵姿を秘めて戦場を走つてゐたし、ミサの讃美歌に恍惚と泣く大衆達はマリヤの顔に更に愁ひを清めるのだ。それは永遠のあこがれであつた。維新の折、キリスト教が復活して長崎の大浦に天主堂が許されたとき、三百年の潜伏信仰をつゞけてきた浦上の信徒達がひそかに教会を訪れて、プチジャン神父に最初に尋ねた言葉は「サンタ・マリヤ様はどこ?」といふ問ひであつたと記録せられてゐる。神父が彼等をマリヤの像の前へ案内すると、さう、ほんとうにサンタ・マリヤ様、御腕にゼスス様を抱いてゐらつしやる、と叫んで跪いてしまつたといふ。彼らの祈りの対象はマリヤ観音であり、それが切支丹大衆の心の在りかであつたのだ。サンタ・マリヤの顔は東洋的な哀愁を宿し、日本のどこかにいつかしら見かけた思ひが誰しもの心に必ず起る顔であつたし、伏し目の忍従と清浄は日本婦道の神秘自体にも外ならない。四郎の顔はサンタ・マリヤに似てゐた。
金鍔次兵衛が飄然大矢野島へ現れて、渡辺小左衛門の地所を借りたのは、その時だ。獣の皮のチョッキを着て鳥銃をぶらさげ、五尺に足らない小男のくせに、ひどく大きな声だつた。
四郎と共に、否、かの妖美なる姿態と共に同じ運命を辿ることは彼の願望であつたけれども、彼の真実の願望と余りにも同じことが起つたので、重い地底にどろ/\した彼の陰鬱な毒血の中から眠りかけてゐた希望や諧謔的なキャプリスまで身を起してきた。
まだ長崎の港には、ともかくポルトガル商船が入港だけは許されてをり、マカオやマニラの教団と彼らを結ぶかすかな糸がともかく残つてゐるのであつた。この船も早晩入港を禁止せられるに相違ない。時は今。そして、それが、最後のそして唯一の時機だ。サンタ・マリヤに似た四郎の美貌を利用して天草全島の信徒達を煽動する、一方長崎と島原半島の信徒達に働きかけて同時に反乱を起すなら、九州各地の切支丹武士が合流するに相違ない。有馬、黒田、大村、宗など幕府に迎合して棄教はしたが曾てはいづれも有力な切支丹の保護者であつたし、細川はガラシャ夫人の昔には信者ではなかつたけれども同情者ではあつた。切支丹ならざる諸侯の家臣にも切支丹武士は多かつたから、彼らに合流の機会を与へれば全九州の反乱、占領、平定、統治は決して架空の業ではない。反乱は日本全土に波及して幕府は倒れ諸侯は各々勢力を争ひ
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