バクゼンと思いふけりながら、終戦ちかいころの焼野原にかこまれた乞食小屋のような防空壕の中でその時間を待つ以外に手がなかったものだ。三発目の原子バクダンがいつオレの頭上にサクレツするかと怯えつづけていたが、原子バクダンを呪う気持などはサラサラなかったね。オレの手に原子バクダンがあれば、むろん敵の頭の上でそれをいきなりバクハツさせてやったろう。何千という一かたまりの焼死体や、コンクリのカケラと一しょにねじきれた血まみれのクビが路にころがっているのを見ても、あのころは全然不感症だった。美も醜もない。死臭すら存在しない。屍体のかたわらで平然とベントーも食えたであろう。一分後には自分の運命がそうなるかも知れないというのが毎日のさしせまった思いの全部だから、散らばってる人々の屍体が変テツもない自然の風景にすぎなかった。
二月十五日だかの銀座のバクゲキ、三月十日の下町の熱地獄以来、四月と五月には私自身の頭上や身辺に落ちてきた焼夷ダンやバクダンだけでも何百発もあった。豪雨の夜中に近所の工場の上に照明ダンをたらして二百機が入れ代り立ち代り二時間にわたってバクゲキし、その半分がそれダマになって何百匹のカ
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