服しても、全世界を征服することによってはじめて得られるという特別の個人生活は有りやしない。そんなバカバカしく大ゲサなことをしたって有り余るものを持ちすぎるだけのことで、人を征服することによって自分たちの生活が多少でも豊かになるような国はもともとよッぽど文化文明の生活程度が低かっただけの話、つまり彼は単に腕ッ節の強いキ印であるにすぎず、即ち彼はやがて居候になるべき人物であるにすぎないのである。文化文明の生活程度を高めるためには、戦争することも、人を征服することも不要である。そこにはおのずから限度があって、戦争に引き合うような途方もない国民生活水準が有るべきものではないのである。
 日本という国も泥棒の心配がいらない身分におちぶれてみて、いろいろのことが分らなければならない道理であったろう。
 昔は三大強国と自称し、一等国の中のそのまたAクラスから負けて四等国に落ッこッたと本人は云ってるけれども、その四等国のしかも散々叩きつぶされ焼きはらわれ手足をもがれて丸ハダカになってからやッと七年目にすぎないというのに、もうそろそろ昔の自称一等国時代の生活水準と変りがないじゃないか。足りないものは軍艦や戦車や飛行機だけ。つまり負けるまでは四等国の生活水準を国防するために超Aクラスのダンビラをそろえて磨きあげて目玉をギョロつかせていただけのことではないか。
 人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの一条に限って全く世界一の憲法さ。戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。四等国が超Aクラスの軍備をととのえて目の玉だけギョロつかせて威張り返って睨めまわしているのも滑稽だが、四等国が四等国なみの軍備をととのえそれで一人前の体裁がととのったつもりでいるのも同じように滑稽である。日本ばかりではないのだ。軍備をととのえ、敵なる者と一戦を辞せずの考えに憑かれている国という国がみんな滑稽なのさ。彼らはみんなキツネ憑きなのさ。本性はまだ居候の域を卒業しておらず、要するに地球上には本当の一等国も二等国もまだ存在せず、ようやく三等国ぐらいがそれもチラホラ、そんなものだ。大軍備、原子バクダンのたぐいは三好清海入道の鉄の棒に類するもので、それをぶらさげて歩くだけ腹がへるにすぎない。
 戦争や軍備は割に合わないにきまっているが、そのために大いに割が合う少数の実業家や、その
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