行き過ぎてのち、あれがその人ではないのかと、半ば感情を皮肉るように、私は常に思い込もうとした。私は腹の中で笑った。私は、かたくなに振り向くことを怖れた。全ては偶然であれ。私の悲しみも、私の恋人も(いわば笑うべきインテロゲエションマークである恋人も)、偶然と共に行き過ぎよ。あれがその人ではなかったかと思う追悔によって、おまえの悲しみは玉となる日があるであろう、と。
 彼女とは? ……いったい、彼女とは誰であろうか? つきつめて思う時、彼女の面影は、いつもその正確な輪廓を誤魔化し、私の目から消え失せるのであった。消えてゆく形を追うて、私はいそいで目をつぶるのであった。もはや、暗闇だけがそこにあった。私はそこに、一つの面影を生み出そうとした。黒色の幕に、私は白色の円形をおいた。私はそれに、目を加え、鼻を加え、口を加えようとした。私は、私のミューズが造型の暗示を与えるまで、しずかにその円を視守ろうと努めるのであった。白色の円は意地悪く伸縮した。そして私が一点を加えようとする度に、陰険に、他の一点を消し去ろうとした。私はそれを妨げるために、私の点描に速力を加えるのであった。私の癇癪にそうて、円も
前へ 次へ
全14ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング