なに大切か、理解してくれない人々とのツキアヒが何よりも苦しいのだ。
 私の場合の如くに、小量のアルコールで酔つて眠りたい時に、今日の如くに、酒が薄かつたり、カストリが不味であつたり、ウヰスキーがガソリンの如くであつたり、味覚の低下混乱はせつない。
 それでも戦争中にくらべれば、まだ、ましなのかも知れない。あの頃私は特配などに何一つありつけないから、酒などはもう諦めて飲む気もなかつた。又、仕事をしてゐるわけでもないので、強いて酔ふ必要もなかつたのだ。それでも時々銀座へでると電通の裏のウヰスキーの国民酒場へ行列する。なぜなら、北海道新聞の若園清太郎が顔をきかせて私に二杯分のウヰスキーをよけい飲ませる算段をしてくれるからであつたが、するとこの行列に必ず石川淳がゐたものだ。彼は麻布の警防団で背中に鉄カブトをぶらさげてションボリ列《なら》んでゐるのだが、ところがこのウヰスキーといふ奴が、今だつたらとても飲める代物ではない。鼻をつまみ息を殺して一息でのむ。喉を焼く痛さ熱さ、そして臭さ。国民酒場の配給品だからともかく生命は大丈夫と我慢して酔ひたいまぎれに飲んではゐたが、今だつたら、生命は大丈夫です、
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