ちかごろの酒の話
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)仆《たお》れて
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 メチルで死人がでるやうになつたとき大井広介から手紙で、新聞でメチル死といふ記事を見るたびに、私が死んだんぢやないかと思つて読んでゐる。気をつけてくれ、といふことを書いてよこした。そのとき、大丈夫、オレより先にタケリンがやられるだらう。そしたらオレも気をつける。と何気なく書き送つたところ本当に武田麟太郎が仆《たお》れてしまつた。こいつはいけないと、心細さが身にしみたものだ。
 その時以来、私は銀座のルパンでだけウヰスキーを飲むことにした。ニッカ、キング、トミーモルト、サントリーのどれかで、安心して飲んでゐたが、その頃から私にとつて酒は必需品となつた。なぜなら、仕事にヒロポンを使ひだしたからで、すると、いざ仕事を書きあげたといふ時に、泥酔しないと睡眠できない。ところがヒロポンの作用を消して眠るためには多量のウヰスキーが必要で、一本の半分ものめば酔ふところを、一本半、時に二本、二本半ものまないと頭が酔つてくれないのだ。仕事の終つたあとでしか飲まないのだから、一ヶ月に十日と飲みはしないのだが、強い酒をおまけに分量が多すぎる、私は胃をやられてしまつた。
 その頃からカストリ焼酎といふものが流行して、私もこれを用ひるやうになつたが、私のやうに催眠薬として酒を飲むには現在の日本酒のやうなものは胃がダブダブ水音をたてるほど飲んでも眠くなつてくれないからダメなので、カストリ焼酎は鼻につく匂ひがあつて飲みにくいけれども、酔へる。それに金も安く、メチルの方も安全だ。
 なぜメチルが安全かといふと、私がカストリを用ひるやうになつたのは東京新聞の人たちに誘はれたのがもとで、彼等は十杯ぐらゐづゝ連日飲んでゐる猛者《もさ》ぞろひだから、それで死なゝければ安全にきまつてゐるといふ次第、それで私は上品なる紳士ぞろひの中央公論の人たちなどからカストリ飲んで大丈夫ですか、ときかれるたびに、大丈夫々々々、東京新聞から死人のでないうちは大丈夫、そしたら私も気をつける。まつたく東京新聞は私のメチル検査器だ。
 あるとき私は酔ひつぶれて東京新聞のヨリタカ君のところへ泊つたことがある。私は未明に起きて、彼らが目をさますまでに雑文一つ書いた。それから少し酒をのもうといふので、近所のおそば屋にウヰスキーがあるといふから買ひにやつた。百五十円だといふのだ。あんまり安すぎる。危険だから止さうと話がきまつたのだが、そのうちヨリタカがふと思ひだして、買つてこよう、死んでもいゝや飲もう。このときは私も呆れた。まつたく見上げた魂だ。言ふまでもなく私は彼を思ひとゞまらせたけれども、かういふ豪傑ぞろひの東京新聞だから、彼らの生命ある限り、私の方が先に死ぬといふ心配はないのである。
 私は酔ひつぶれて寝てしまひたいための酒であるから、近頃は新宿のチトセでのむ。この店の主人は私の古い友達で、作家の谷丹三だ。チトセはもと向島の百花園にあつた古い料亭だが、焼けて、新宿へこしてきたので、焼けない前から私にはナヂミの店で、酔ひつぶれると、私は座敷へそのまゝ寝てしまふ。ひどく都合がいゝ。このチトセにも、私は私の胃袋に合はせてカストリを用意してもらつたが、近頃はこの店に限らず、東京全体カストリの質が落ちて、ひどく鼻について、飲めなくなつてきた。
 薬をのんで仕事をするといふのは無理がある。先日、ヒロポンに就て書いて以来多くの人々からさう言はれるが、芸術の仕事は必ずしも一概にさうは言へないもの、私の場合、私は考へるだけ考へ、燃焼させるだけ燃焼させた材料を、蒸気のカマの蒸気の如く圧縮して噴出させて表現するやうな方法なのだから、イザ書く時には五日間ぐらゐなら、眠らずに書きあげたいのだ。芸術の表現と生命の燃焼が同時であつて、それで仆れるものなら、私は仆れても構はないので、私は私の死後などは考へてゐない。
 然し私もむろん健康には人並以上に注意をしてをるので、私はつまり一般的な方法で注意をせずに、私だけの体質気質に相応した独自な手法、で注意してゐるのだが、それが独自だから、私の注意が他の人々に分らないだけのことだ。
 たとへばカストリを飲むといふことも私の注意の一つなのだ。ウヰスキーは胃を痛め、酒は薄すぎる。それで不味を覚悟でカストリをのむ。私がもし私の味覚に溺れて上品な酒をのむなら、私はむしろ身体をこはすに相違ない。
 私は仕事中はねむらぬ。だから、仕事のあとでは出来るだけムダなくねむりたい。そのために酔ひつぶれてその場へ仆れて眠れる場所をさがす。これも私の注意だ。私はチトセで酔ひつぶれ、朝目がさめて、少し飲んで、又、ねてしまふ。仕事をしない時間は、できるだけ、ねむる。だから、私にとつて眠ることがどん
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