なに大切か、理解してくれない人々とのツキアヒが何よりも苦しいのだ。
 私の場合の如くに、小量のアルコールで酔つて眠りたい時に、今日の如くに、酒が薄かつたり、カストリが不味であつたり、ウヰスキーがガソリンの如くであつたり、味覚の低下混乱はせつない。
 それでも戦争中にくらべれば、まだ、ましなのかも知れない。あの頃私は特配などに何一つありつけないから、酒などはもう諦めて飲む気もなかつた。又、仕事をしてゐるわけでもないので、強いて酔ふ必要もなかつたのだ。それでも時々銀座へでると電通の裏のウヰスキーの国民酒場へ行列する。なぜなら、北海道新聞の若園清太郎が顔をきかせて私に二杯分のウヰスキーをよけい飲ませる算段をしてくれるからであつたが、するとこの行列に必ず石川淳がゐたものだ。彼は麻布の警防団で背中に鉄カブトをぶらさげてションボリ列《なら》んでゐるのだが、ところがこのウヰスキーといふ奴が、今だつたらとても飲める代物ではない。鼻をつまみ息を殺して一息でのむ。喉を焼く痛さ熱さ、そして臭さ。国民酒場の配給品だからともかく生命は大丈夫と我慢して酔ひたいまぎれに飲んではゐたが、今だつたら、生命は大丈夫です、と保証づきで持つてこられても、とても飲む気にはならないであらう。
 ともかくこの原料難、製造技術の貧困、素人製品の横行時代でも、味覚は多少づゝは上昇し、とりもどされ、復興されつゝあることは事実で、大戦争、大敗北の直後の事情として、アルコールに関する世界は、必ずしも絶望ではない。絶望的なのは値段の方で、だんだん我々の手がとゞかなくなることだけだ。
 たゞ、この頃の事情で私に最も分らないのは、同じやうな物を食べさせながら店によつて値段の相違があまり激しすぎることだ。非常にうまい物を食べさせながら非常に安い店がある。概して、うまい物をたべさせる店の方が安い。
 四五日前、夕食をたべようと思ひ、昔よくでかけた「はせ川」が開店したさうだからと行つてみたが、昔の場所は焼跡でそこには何もない。仕方がないので、その近所へ出来たばかりの天プラ屋へはいつた。バラック時代に、普請も立派で、二階の部屋へ通されて、料理も酒も上等だから、目の玉の飛びでるほど金をとられるのかと思つたら、ばかに安い。こんな店が、やつぱり、あるのだ。
 店の名は忘れてしまつたが、私は今度から、友達を誘つて飲むとき、時々こゝへ行かうと思
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