たくさんゐるから馬鹿にマラソンが強いので、特に団体競技、駅伝競争となると人材がそろつてゐる。けれども車夫といふものは走り方に隠されぬ特徴があつて手の置き場が妙に変つてをり、又、脚のハネ方にもピンと跳ねて押へるやうなどこか変つたところがあつて、見てゐるとハラ/\する。負けた学校からも投書があつたりして、せつかく貰つた優勝旗をとりあげられたことがあつた。私の安住できる学校はこんなものである。
かういふ私にとつては生れつき兵隊ほど嫌ひなものはなかつたが、然し、私は凡そ戦争を呪つてゐなかつた。元々芸術の仕事といふものは、それ自体が戦争に似てゐる。個人の精神内部に於ける戦争の如きもので、エマヌエル・カント先生も純粋理性批判に於てさういふ表現を用ひてゐるが、ともかく芸術の世界は自らの内部に於て常に戦ひ、そして、戦ふ以上に、むしろ殉ずる世界である。私のやうに身の程もかへりみず、トンボか、せいぜい雀ぐらゐの才能しかないくせに、鷲か鷹でなければ翔べない山脈へあがらうといふ。その無理はよその人が見て考へるよりも本人自身が身を切る思ひで知つてをり、朝に絶望し、夕べにのたうち、鷲や鷹につかみ去られて食べられて糞になつたり嘔吐になつたり、そこで又いのちを貰つてコツコツやりだして、麓と二合目ぐらゐのところを翔んでは食べられて糞になり、翔んでは食べられて糞になり、糞の中から生れ代つて同じ所をせつせと登つて突き落されてゐる。
支那で戦争が始つた四年の後に本物の大戦争が始まるまで、私の方は戦争どころではなかつたので、ヨチ/\翔んでは食べられて糞になり、冒頭に述べた通り、支那で戦争の始まつたとき私は京都にゐたのだが、その年の正月の終りごろ、ふと東京で決意して、千枚ほどの原稿紙だけぶらさげて京都へ来たのだが、隠岐和一から伏見稲荷の前に部屋を探してもらつて長篇小説を書きだした。その隠岐が東京へ帰ると知り人はもとより一人もをらず、私はその孤独をいかばかり心強いものに思ひつめてゐたであらうか。私を知る人は京都に一人もゐないのだ。なんといふ温いなつかしい友情であらうか! まもなく私は弁当仕出屋の二階へ引越した。そこでは一日の食費が二十五銭で、酒が一本十二銭で、私は少しも歩かずに食つて酔つ払つて、ねむつて、一ヶ月二十円ぐらゐで生きてゐられるのである。私が満々たる自信をもつて仕事に精根つくしてゐたのは約二ヶ月で
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