ころからすでに東京では魚が買へなくなつてゐたらしい。そして小田原にも魚がなくて、ガランドウが二宮の友人の魚屋へ電話をかけて、地の魚はないがマグロが少々あるからといふので、それを買ひに行つたのだ。東海道をバスで走つた。私は今でもあの日の海を忘れない。澄み渡る冬の青空であつたが、海は荒れてゐた。松並木に巡査が一人立つてゐた。その姿の外に戦争を感じさせる何物もありはしなかつた。二宮の魚屋で私達は店先に腰を下して焼酎を飲み、私はひどく酔つ払つて東京行の汽車に乗つたが、私の汽車が東京へつかないうちに敵の空襲をうけるものだと考へてゐた。私は全く気が早い。私はつまり各国の戦力、機械力といふものを当時可能な頂点に於て考へてゐたので、この戦争がこれほど泥くさいものだとは考へてゐなかつた。皇軍マレーを自転車で進撃ときた時には全く心細くなつてしまつたので、尤も私は始めから日本の勝利など夢にも考へてをらず、日本は負ける、否、亡びる。そして、祖国と共に余も亡びる、と諦めてゐたのである。だから私は全く楽天的であつた。
私のやうに諦めよく、楽天的な人間といふものは、凡そタノモシサといふものが微塵もないので、たよりないこと夥しく、つまり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも飲んで碁を打つてゐる考へなので、祖国の急に馳せつけるなどゝいふ心掛けは全くなかつた。その代り、共に亡びることも憎んでをらず、第一、てんで戦争を呪つてゐなかつた。呪ふどころか、生れて以来始めての壮大な見世物のつもりで、まつたく見とれて、面白がつてゐたのであつた。私が最も怖れてゐたのは兵隊にとられることであつたが、それは戦場へでるとか死ぬといふことではなくて、物の道理を知らない小僧みたいな将校に命令されたり、ブン殴られるといふことだけを大いに呪つてゐたのである。点呼令状といふものがとゞいた日の夜、私の住む地区は焼け野原になつた。天帝のあはれみ給ふところと喜んでごまかして、有耶無耶《うやむや》のうちに戦争が終つて、私は幸ひブン殴られずに済んだのである。私はブン殴られたら刺し違へて死ぬことなどを空想して、戦争中、こればかりは何とも憂鬱で仕方がなかつた。私は規則には服し得ない人間で、そのために、子供の時から学校が嫌ひで、幼稚園の時からサボッて、道に迷つて大騒ぎをやらかしたりして、中学校まで全通学時間の約半分はひ
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