すと、芸があらば抱へよう、致してみよといふわけで、東国方の旅人はあるひは相撲が得手だとか、人を馬にする術を心得てゐるなんぞと言つたあげくが失敗して、やるまいぞ/\と追はれることになるわけであります。
若い時に旅をせねば、老いて物語がないといふ、勿論さきほどの十三の娘の等身の薬師仏をつくり、それに祈つてまであまたの物語が見たいといふ、その物語とは異り、単に話の種といふほどの意味でありませうが、皆人の仰せらるるには、若い時に旅をせねば、老いて物語がないと仰せらるるにより、俄に旅にでたといふ滑稽な独白を読むたびに、土民の感情に生きてゐるあたたかい生き甲斐の悲しさに打たれ、ほのかな明るい放心を覚えずにゐられなかつたのでありました。
薬師仏にぬかづいても読みたいといふあの物語この物語。いづれはそれらも物語といふからには、元来物語られたものであつたには相違ありますまい。ちようど、夜のまどゐに、学芸会に、日頃の覚えを語りだす情熱あふれる若人達の物語のやうに。恐らくプルウストやバルザックが婦人達にその物語を披露するとき、その精神も情熱も、学芸会の若人以上に高遠であつたとは言へますまい。それだから何々だ、と、僕はそのやうに何事か結論する気はないのです。
ある婦人に物語つてきかせたからといつて、その婦人にきかせるためにのみその作品がつくられる道理はあり得ません。プルウストにしてからが、物語つてきかせるときと、その製作に当つてゐる時とは、精神も感情も雲泥の相違であつたと思ひます。現に僕は、プルウストの発想法や構成法を考へたことがありませんから、ここでそれにふれることができないばかりでなく、君の新らしい仕事からそれの教示を受けることを、どんなに期待してゐるか知れません。僕のふれてゐることは、もつと軽く、卑俗な事柄にすぎないのです。だつて、関東方の旅人が炉辺で物語る思ひ出と、プルウストの失はれた時の思ひ出が、その根柢の本能にまでさかのぼつた精神に於ても、通じてゐる筈はありますまい。つきつめてみれば通じるにしても、それを言ふことは不当であります。それは人間を白骨に還元する坊主の言ひぐさと同じやうなものですから。
菱山君。物語る精神や方法に就いて論じだせば、僕自身が謎の中の当事者ですから、第一ふれたくないのです。僕自身の方法論を、僕が書くことは不可能です。
もともと僕は非常に軽い冗談を言ふために、かうしてお喋りしはじめたのでした。さて、いよいよそれを言つてみますと、僕は別段プルウストのやうに、美しい婦人の友達を得て、自分の小説を語つてきかせる立場が欲しいと思つてはゐないのですよ。僕は少年の頃、学芸会の余興なんぞに、落語を語るのが得意でしたつけ。ですが今は――むろん美しい友達に小説の話もするでせうが、それによつて、僕の作品が高まる筈はありません。プルウストももとより同断。中にはスタンダールなんといふ感激好きの騎士もゐて、メチルドなどいふ夢の観音をでつちあげて、その精神も芸術も常に高められてゐるやうな誇大なことを好んで言ひふらしてゐるのですけど、さうして実は僕もさういふ嘘つぱちな感動を言ひふらすのが好きなんですけど、実際は――君はにや/\笑ひだしてゐるやうですね。実際は、感激したり力んだりしてみても、いざ実際に作品となれば、そんな魔術は薬九層倍ほどの御利益もありません。
薬師仏にぬかづいてあまたの物語をみせたまへと念じた乙女は、十三の年京にのぼり、思ひの通り数々の物語を読むうちに、いつとなく物読むことからも遠くなり、「辛うじて思ひよることは、いみじくやんごとなきかたちありさま、物語にある光源氏などのやうにおはせむ人を、年に一度にても通はし奉りて、浮船の女君のやうに、山里にかくし居《す》ゑられて、花、紅葉、月、雪ながめて、いと心ぼそげにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめとばかり思ひつづけ」るやうな年頃になります。このひと後に信濃守某に嫁し、その一生を終るのですが、「年月は過ぎかはり行けど、夢のやうなりしほどを思ひいづれば、心地もまどひ、目もかきくらすやうなれば、そのほどのことは、まださだかにもおぼえず。人々はみな外にすみあかれて、故郷にひとり、いみじう心ぼそくかなしくて、ながめあかし侘びて、久しうおとづれぬ人に、
茂りゆく蓬が露にそぼちつつ人に問はれぬねをのみぞなく
尼なる人なり。
世のつねの宿のよもぎに思ひやれそむきはてたる庭のくさむら」と、その一生の日記を書き終つてゐるのであります。
君は常々叡智ひらめく童女たちがやがて一介の女となりはててしまふことを嘆いてゐますね。更科日記の著者も亦《また》結局あきらめに生きるあの日本のひとりの女であつたのでしたが、この素直な無常観はひねくれた僕の心も打ちますし、また思ひ出の素直さが
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