仕方がありませんけど。シロへ行くんです。あすこの料理はとてもしつかりしてゐると聞いたものですから。あなたはいつも夜会に私を招待して下さるから、今夜は私も御礼に……ありがたい。風をひくといけませんよ。私のカラーなんか見ちやいけませんね。どこか間違つた服装をしてゐれば、それはもうセレストの奴がした業に違ひないんです。あいつときたら、きまつて私に恥をかかせようとするんだから。あ。いいえ、タキシはお呼びにならなくともよろしいんです。ちやんと私のが下に待つてる筈なんですから。足の冷めたさは御心配なさらなくともいいんですよ。車の中にちやんと毛皮を用意しておきましたから。……いや、まつたく。こんな妙な服装をした男と外出なさるのは、あなたの恥かも知れないな……
 私達は真暗な人通りない巴里を走つて、またたくうちにシロへつきました。
 ――君。と、プルウストは支配人に言ふのです。夫人のために一番いい席をこしらへて下さいませんか。出来のいいシャンパンをすぐ冷やして……いえ、いえ、ぜひこいつを飲んで頂かなきや。今晩は私を悦ばすためにぜひこれを飲んで頂きたいんです……それから白葡萄酒にヒラメの鰭肉を落して。それから(プルウストの招待客はしよつちう同じ献立を食はされるのです。彼の健康に順《したが》つて多少の変化はありますが、客人の健康に順つて変化された例はありません)え。私の食べもの? 私は何もいらない。あ。さうだ。水を飲まう。それから、珈琲も飲まうかな。もし許して頂けるなら、珈琲を何杯も何杯も飲みたいな。
 そこで私達は席につきました。
 ――お願ひですから、袖口にセーターがのぞいて見えても、お気にとめないで下さいよ。みんなセレストの奴が行きとどかないせゐなんです。
 暫くして、突然彼は立上つて、支配人のところへ出掛けて行きました。すつかり声まで改まつてゐるのです。彼は自分の名刺を差出しました。
 ――君済まないがこの名刺を夫人の背後に陣どつてゐる紳士諸君に渡して頂きたい。あいつ等は断じて我々と同席するにふさわしくない。どうも、我慢するわけにいかん。無礼きはまる。
 私は立上らずにゐられませんでした。
 ――いつたい、どなたのことを言つてるんです。マルセル。
 ――あすこにゐる外国人の奴等め、あなたが誰方か知らないんです。あいつら、あなたの悪口を言つてるんです。私と同席してゐるといふので。
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