「お座りなさいよ。」と彼女は私に言った。「まだ明るいわ。何か読みましょう。ご本を持っていらしって?」
 私はスパランツァーニの旅行記の第二巻を手にしていた。いいかげんのところを開いて、彼女のかたわらに寄った。彼女は私の肩に自分の肩をもたした。そして私たちは同じページをべつべつにごく低く読みはじめた。ページをめくる前に、彼女はいつも私を待たねばならなかった。私の頭は彼女ほど早く進めなかった。
「すんで?」と彼女は私がまだ読みはじめたばかりなのに聞くのだった。
 そうしてるうちに、私たちの頭は触れあい、髪の毛は一緒になり、息はしだいに近よって、突然口と口とが合わさった。
 また読みつづけようとした時には、空に星が出ていた。
「ああ、お母さま、お母さま、」と彼女は家のなかにもどると言った、「あたしたちはそりゃあ走ったわ!」
 私のほうは黙っていた。
「なんにも言わないで、」と私の母は私に言った、「あなたは悲しそうなふうですよ。」
 私は心のなかに天国を持っていた。
 その晩のことを、私は生命《いのち》のあるかぎり忘れないだろう。
 生命のあるかぎり!

       三四

 ただいま時が
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