チた、「パリ法廷づきの執達吏です。検事長殿からの通牒を持って来ました。」
最初の惑乱はもう過ぎ去っていた。私はすっかりもとの沈着にかえっていた。
「検事長がそんなに私の首をほしがったのですか。」と私は答えた。「通牒を書いてくれたのは、私にとって光栄の至りです。私の死が彼に大きな喜びをもたらさんことを希望します。彼があれほど熱心に要求してる私の死が、じつは彼にとってどうでもよいことだなどとは、どうにも考えられませんからね。」
私はすっかりそう言って、それからしっかりした声でつづけた。
「読んでください。」
彼はその長い主文を、各言葉のまんなかではためらうように、各行の終りではうたうようにして、私に読んできかした。それは私の上告の却下だった。
「判決は今日グレーヴの広場で執行されることになっています。」と彼は読み終えた時まだその公文書から目をあげないで言い添えた。「正七時半にコンシエルジュリーへ出かけるのです。私と一緒に来ていただけますか。」
すこし前から私はもう彼の言葉に耳をかしていなかった。典獄は司祭と話をしていた。執達吏はその公文書の上に目をすえていた。私は扉のほうを眺めていた。扉は半開きのままになっていた……。ああ、あさましくも、廊下には四人の銃卒が!
執達吏はこんどは私のほうを見ながらその問いをくりかえした。
「ええ、いつでも。」と私は答えた。「ご都合しだいで。」
彼は私に会釈しながら言った。
「三十分ほど後に、迎えにまいりましょう。」
そこで彼らは私ひとり残して出ていった。
逃げる方法が、ああ、なんらかの方法がないものか。私は脱走しなければならない。ぜひとも、直ちに、扉や、窓や、屋根を越して、たといそれらの構桁《こうげた》に自分の肉を残そうとも!
おお、畜生、悪魔、呪われてあれ! この壁を破ることは立派な道具でしても数か月はかかるだろう。しかるに私には一本のくぎもない、一時間の余裕もない。
二二
[#地から5字上げ]コンシエルジュリーにて
調書のいうところにしたがえば、私はここに移送[#「移送」に傍点]された。
しかしその旅のことは語るだけの値打ちがある。
七時半が鳴った時、執達吏はまた私の監房の入口に現われた。彼は私に言った。「迎えに来ました。」ああ、彼だけではなく、他の人々も!
私は立ちあがった。一歩進んだ。が二歩とは進めないような気がした。それほど頭が重く足がよわっていた。それでも私は気をとりなおして、かなりしっかりと歩いていった。外に出る前に、監房のなかを最後にちょっと見まわした。――私はそれを、自分の幽閉監房を好きだった。――それから、私はそれを空虚な打ち開いたままに残して外に出た。そのため監房は妙なありさまに見えた。
けれども、監房は長くそのままではないだろう。鍵番らの言うところによれば、だれかが、ちょうどいまごろ重罪裁判廷でこしらえられている一人の死刑囚が、晩にはやってくるはずになっている。
廊下のまがりかどで、教誨師が私に加わった。彼は食事をしてきたのだった。
獄舎を出ると、典獄は懇切に私の手を握りしめ、それから私の護衛に四人の老兵を加えた。
病室の前を通る時、死にかけてる一人の老人が私に叫んだ。「また逢おうよ。」
私たちは中庭に出た。私は息をついた。それでいくらか楽になった。
長くは戸外を歩かなかった。駅次馬に引かれた馬車が第一の中庭にとまっていた。私をはじめ連れてきたあの馬車である。細長い一種の二輪馬車で、編まれてるのかと思われるほど目のこまかい針金の格子が横に通って、二つの部分に分かたれている。その二つの部分にはそれぞれ、馬車の前方と後方とに一つの扉がついている。全体がいかにも汚く黒く埃っぽくて、貧乏人の葬式馬車もそれにくらべれば成聖式の幌馬車ほどになる。
その二輪車の墓のなかにはいりこむ前に、私は中庭に一瞥《いちべつ》を、壁をも突き崩すほどの絶望の一瞥を投げた。中庭は樹木の植えてある小さな広場みたいなものだったが、徒刑囚らの時よりもなおいっそう見物人でいっぱいだった。いまからもう人だかりだ!
鎖に繋がれた者たちが出発した日と同じに、季節の雨が、こまかな冷たい雨が、降っていた。これを書いている今もなおその雨が降っている。おそらく今日じゅうは降るだろう。私の生命よりも長く降りつづくことだろう。
道は壊れていたし、中庭は泥と水とでいっぱいだった。その群集をその泥のなかに見るのが私にはうれしかった。
私たちは馬車に乗った、執達吏と一人の憲兵とは前部の室に、司祭と私と一人の憲兵とは後部の室に。騎馬の憲兵が四人馬車のまわりにしたがった。かくて、御者を別にして、一人に八人の者がついてるわけである。
私が馬車に乗ってる時、灰色の目をした老年の女が
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