、いうのが、と私は考えながら、熱っぽいおののきが背すじにのぼってきた、そういうのが私より前のこの監房の主だったのだ。ここで、今私がいるこの床石の上で、殺害と流血との男たる彼らが、その最後の考えを考えたのだ。この壁のそばで、この狭い四角な中で、彼らが最後に野獣のように歩きまわったのだ。彼らは短い間をおいてあいついでやって来た。この監房はあくことがないらしい。彼らが去った席はまだ温かい。そして私がその後に来たのだ。こんどは私が、あんなによく草のはえるクラマールの墓地に、彼らと一緒になりに行くことだろう。
 私は幻覚者でもなく迷信家でもないし、たぶんは右のような考えのために熱に浮かされたのであろうが、そういうふうに夢想してるうちに突然、それらの不吉な名前が黒い壁の上に火で書かれてるように思えた。耳鳴りが起こってしだいに高まってきた。赤茶けた光が目にいっぱい映った。それから、この監房が人でいっぱいになってるように見えた。異様な人々で、自分の頭を左手に持ち、しかも髪の毛がないので口をつかんで持っていた。昔は手を切られたはずの親殺し犯人以外は、みな私に拳固《げんこ》をさしつけていた。
 私は恐ろしさのあまり目を閉じた。するとなおはっきりすべてのことが見えてきた。
 夢にせよ、幻にせよ、現実にせよ、とにかく私はも少しで気が狂うところだった。が、ちょうど折よく、突然ある感じが私を覚ましてくれた。あおむけに倒れかかった時、ある冷たい腹と毛のはえた足とが自分の裸の足の上を通ってゆくのを感じた。それは私にじゃまされて逃げてゆく蜘蛛《くも》だった。
 そのために私は我にかえった。――おお恐ろしい亡霊ども!――いやそれは一つの煙であり、痙攣《けいれん》している空虚な私の頭脳の想像だった。マクベス式の幻だ! 死者は死んでいる、ことに彼らはそうだ。墳墓の中に入れられて錠をおろされてる。それは監獄とちがって脱走はできない。私があんなに恐怖を覚えたのはどうしたわけか。
 墓穴の扉は内部から開くことはできない。

       一三

 近ごろ、私はある忌《いま》わしいものを見た。
 まだ夜が明けるか明けないうちだったか、監獄じゅうがそうぞうしくなった。重い扉の開いたり閉じたりする音、鉄の閂《かんぬき》や海老錠《えびじょう》のきしる音、看守の帯にさがってる鍵束のがちゃつく音、階段の上から下まであわただしい足音、長い廊下の両端から互いに呼び合い答え合う声、などが聞こえた。私の近くの幽閉監房の者たち、懲戒囚たちは、平素よりいっそう陽気になっていた。ビセートルの監獄全体の者が、笑い歌い走り踊ってるようだった。
 私はただ一人、その喧騒の中に口をつぐみ、その騒動の中に身動きもせず、驚いて注意深く耳を澄ましていた。
 一人の看守が通りかかった。
 私は思いきって彼を呼び、監獄で祝いごとでもあるのかとたずねた。「お祝いといえばまあお祝いだ。」と彼は答えた。
「今日は、明日ツーロンの徒刑場へ行く囚人どもに鎖をつけるんだ。見せてやろうか、面白いぞ。」
 なるほど、いかに醜悪なものであろうとも何かを見るということは、孤独な幽閉者にとってはありがたいことだった。私はその娯楽を承諾した。
 看守は警戒のためにいつもするとおりの周到な処置をほどこして、それから私をまったくなんにも備えつけてない小さなあいている監房に連れていった。そこには鉄格子のはまっている窓が一つあったが、ひじがかけられるくらいの高さの本当の窓で、そこから真実の空が見られた。
「そら、」と看守は私に言った、「ここから、君は見たり聞いたりすることができる。王様のように室の中に一人きりだ。」
 それから彼は外に出て、錠前と海老錠と閂とで私を閉じこめた。
 窓はかなり広い四角な中庭に面していた。庭の四方には壁のように、切石づくりの大きな七階の建物がそびえていた。その四つの建物の正面ほど不体裁に露骨にみじめに見えるものはおそらくあるまい。鉄格子づきのたくさんの窓が穴をあけていて、その窓には下から上まで、無数の痩《や》せた青ざめた顔が、壁の石のように積みかさなって、いわば鉄格子の身にみなはめこまれたようにしてしっかりくっついていた。それは自分がやがて登場する番になるのを待ちながらまず見物人となっている囚人どもだった。地獄に面した煉獄の風窓にしがみついている受刑の魂みたいだった。
 彼らは皆、まだ何もない中庭を黙って眺めていた。待ってるのだった。そしてそれらの生気のない沈鬱な顔のあいだに、あちらこちら、鋭い強い目が一点の火のように光っていた。
 中庭を取り囲んでいる監獄の四角な建物は、すっかり閉じ合わさってはいない。四つの翼の一つは(東を向いてるのは)中ほどで切れていて、隣の翼と鉄柵で続いてるだけである。その鉄柵の向うに、こちらの
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