アとだろうか。
 それにまた、人生は私にとってなんでこんなに名残り惜しいのか。実際のところ、監獄の薄暗い日と黒いパン、囚人用のバケツから汲み取られた薄いスープの分け前、教育を受けて啓発されてる身でありながら、手荒く取り扱われ、看守や監視らから虐待され、ひとこと言葉をかわすにたりる者と思ってくれる一人の人もなく、自分のしたことに絶えずおののき、人からどうされるだろうかということに絶えずおののいている、ただほとんどそれだけのことが、死刑執行人が私から奪いうるものではないか。
 ああ、それでもやはり、恐ろしいことだ!

       四

 黒い馬車は私をここに、この呪わしいビセートルに運んだ。
 ある距離をへだてて遠くから見ると、この建物はあるおごそかさをもっている。丘の上に地平線上にひろがっていて、昔の光輝の多少を、王城の様子を、なお失わずにいる。しかし近寄ってゆくにしたがって、その宮殿は破家《やぶれや》となってくる。破損してるその切妻は見るにたえない。なんともいえぬ賤《いや》しいみすぼらしい風《ふう》が、その堂々たる正面をけがしている。壁はらい病に冒されたようである。もうガラス戸もなければ、ガラス窓もない。交差してる太い鉄格子がついていて、それのあちらこちらに、囚人や狂人のやつれた顔がくっついてる。
 それはまぢかに眺めた人生だ。

       五

 到着するかしないうちに、鉄の手が私をつかみ取った。人々は注意に注意を重ねた。私の食事にはナイフもフォークもなかった。緊束衣《きんそくい》が、一種の帆布の袋が、私の両腕を捉《とら》えた。人々は私の生命について責めを帯びてるのだった。私の事件は上告してあった。そのやっかいな事柄がまだ六、七週間はかかるはずだったし、またグレーヴの広場のために私を無事に保存しておくことが大切だった。
 初めの数日間私はやさしく取り扱われた。それがかえって私には恐ろしく思えた。看守の敬意は死刑台を思わせるものだ。が、しあわせにも数日たつと、また習慣どおりになった。彼らは私を他の囚人らと一緒に暴虐に取り扱い、私の目に絶えず死刑執行人を映らせるような、不|馴《な》れなていねいな区別をもうしなかった。よくなったのはそのことばかりではなかった。私の若さ、私の従順さ、監獄|教誨師《きょうかいし》の世話、それからことに、わかりもしない門衛に私が言ってやったラテン語の数語、そんなもののために私は、他の囚人らとともに一週一回散歩することが許され、身動きのできなかった緊束衣もつけずにすんだ。いろいろ躊躇《ちゅうちょ》されたのちに、インキと紙とペンも与えられ、夜のランプも与えられた。
 毎日曜日には、ミサの式の後で、休息の時間に、私は中庭に放たれる。そこで私は囚人らと話をする。話をせずにはいられないものだ。彼らは、そのみじめな者たちは、みな善良である。彼らはその仕事[#「仕事」に傍点]を私に話してきかせる。聞いてると恐ろしいほどであるが、しかし彼らが自慢誇張してることを私は知っている。彼らは私に隠語を話すことを、彼らの言葉でいえば赤舌をたたく[#「赤舌をたたく」に傍点]ことを教えてくれる。それは一般の言葉の上につぎ合わした一つの言葉であって、見苦しい瘤《こぶ》のようなものであり、疣《いぼ》のようなものである。時とするとふしぎな力をそなえ、恐ろしい光景を見せる。リボンの上にジャムがある[#「リボンの上にジャムがある」に傍点]――道の上に血がある。後家をめとる[#「後家をめとる」に傍点]――絞首される。あたかも首吊り台の縄はすべての被絞首者の寡婦《かふ》であるかのようだ。盗人の頭は二つの名前をもっている。考えたり理屈をこねたり罪悪をすすめたりする時には、ソルボンヌ大学[#「ソルボンヌ大学」に傍点]と言い、死刑執行人に切られる時には、切株[#「切株」に傍点]となる。また時とすると、通俗喜劇めいた才気を示すこともある。柳の肩掛け[#「柳の肩掛け」に傍点]――屑屋の負籠《おいかご》。嘘つき[#「嘘つき」に傍点]――舌。またいたるところに絶えず由来のわからない奇態なふしぎな醜い下品な言葉が出てくる、かなとこ[#「かなとこ」に傍点]――死刑執行人。松ぼっくり[#「松ぼっくり」に傍点]――死。押入れ[#「押入れ」に傍点]――死刑場。まるで蟇《がま》や蜘蛛《くも》の言葉のようだ。その言葉が話されるのを聞く時には、何か汚ならしい埃まみれのもののような気がし、ひとたばのぼろ布を顔の前で打ち振られるような気がする。
 少なくともその男たちは私を憐れんでくれる。その男たちだけだ。獄吏や看守や鍵番らは――私はそれを怨《うら》むのではないが――話し合ったり笑ったりしていて、私の前ででも私のことを一個の物のように話している。

       六

 私
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