スならば推理のじゃまとなるほどである。でもここにその無数のうちの一つを、最近の事実であるから持ち出してみよう。今これを書いている日からわずか十日前のことである。謝肉祭最終日の三月五日のことである。サン・ポルで、ルイ・カミュという放火犯人の死刑執行のすぐ後に、仮面行列の一群がやってきて、まだ血煙を立てている断頭台のまわりで踊ったのである。実例を示すがいい。謝肉祭最終日は諸君の鼻先で笑っている。
もし諸君が、経験にもかんがみず、実例という古めかしい理論に固執するならば、十六世紀をとりもどすがいい。本当に畏怖すべきものとなって、多様の刑罰をとりもどし、ファリナッキをとりもどし、審裁刑吏らをとりもどし、首吊台、裂刑車、火刑台、吊刑台、耳切りの刑、四つ裂きの刑、生埋めの穴、生煮の釜、などをとりもどすがいい。千客万来の店として、たえず新しい肉を備えている死刑執行人のいまわしい肉店を、パリのあらゆる四つ辻にとりもどすがいい。モンフォーコンの刑場を、その十六本の石の柱と、あらあらしい平段と、骸骨のあなぐらと、梁と、鉤《かぎ》と、鎖と、死体串と、点々と烏がとまってる白堊の本堂と、首吊柱の分堂とをともにとりもどし、北東の風でタンプル大通り一帯にさっと広がる、その屍《しかばね》の臭気をとりもどすがいい。パリの死刑執行人のあの大きな小屋を、同じ強さと不朽の形のままで、とりもどすがいい。よきかな! それこそ大いなる実例である。よく腑に落ちる死刑である。多少規模のある刑罰様式である。それこそ嫌悪すべきものである。が、しかし怖るべきものである。
あるいはまた、イギリスのようにするがいい。商業国たるイギリスでは、ドーヴァーの海岸で密輸入者を一人捕えると、それを実例として[#「実例として」に傍点]首吊りにし、実例として[#「実例として」に傍点]首吊台にさらしておく。しかし天気の不順のために死体がいたむことがあるので、瀝青《れきせい》を塗った布で死体を注意深く包んで、たびたび手入れをしないでよいようにする。倹約の国なるかな、首を吊られた死体に瀝青を塗るとは!
けれどもそれはまだ多少理屈に合う。実例論に対するもっとも人情的な理解のしかたである。
しかし諸君は郭外の大通りのもっとも寂しい片隅で一人の憐れな男の首をみじめにも断ち切る時、一つの実例を示すものだとまじめに考えているのか。グレーヴの刑場で
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