刑には立ち会っていたはずである。一人の合図で彼はすべてをやめさせることができるのだった。しかるにこの裁判官は、一人の男が屠殺されてるあいだ、その馬車の奥で何をしていたのか。この殺害人懲罰者は、真昼間、眼前で、自分の馬の鼻先で、自分の馬車の扉口で、一人の男が殺害されているあいだ、何をしていたのか。
 そしてその裁判官は裁判に付せられなかった。その死刑執行人は裁判に付せられなかった。神に造られた一個の神聖な人命においてあらゆる掟《おきて》が残酷に破棄されたことについて、どの法廷も詮議《せんぎ》をしたものはなかった。
 十七世紀において、リシュリューやクリストフ・フーケが上に立っている刑法の野蛮時代において、ド・シャレー氏はナントのブーフェーの前で殺されたが、刑執行人の兵士は不器用にも、剣の一撃でせずに、樽屋の手斧で三十四回の打撃を与えた。(ラ・ポルトは二十二回と言ってるが、オーブリーは三十四回と言っている。ド・シャレー氏は二十回まで叫び声をたてた。)その時でもそれは反則なものだとパリ裁判所の目に映じた。調査が行なわれ裁判がなされた。そしてたといリシュリューは罰せられなかったとはいえ、たといクリストフ・フーケは罰せられなかったとはいえ、兵士は罰せられた。むろんそれは不正ではあるが、しかし底には多少正義があった。
 が、こちらには何物もない。七月革命の後に、穏良な風習と進歩との時代に、死刑に対して議会がひどく悲嘆した一年後に起こったことである。ところがその事実は全然看過された。パリの諸新聞はそれを一つの話柄として掲げた。誰も心を動かす者はなかった。高等事務執行者を陥れようとする[#「高等事務執行者を陥れようとする」に傍点]者が故意に断頭台の機械を狂わしていた、ということが知られたばかりだった。死刑執行人の一人の助手が、主人から追い出されて、意趣ばらしにそういう悪事を謀《はか》ったのだった。
 それは一つのいたずらにすぎなかった。が、先をつづけよう。
 ディジョンで、三か月前に、一人の女が刑場に引き出された。(女なのだ!)その時もまた、ギヨタン博士の肉切り庖丁は用をしそこなった。首はすっかりは切れなかった。すると死刑執行人の助手らは女の足につかまり、不幸な彼女のわめき声のあいだに、跳ねあがったりひっぱったりして、頭と体とをもぎ離してしまった。
 パリにおいては、秘密処刑の時
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