ノ、一足二足とはい出し、それから思いきってその木組の下からすっかり外に出で、次にその上に跳び乗って、それを修繕し修復し研《みが》き擦《す》り動かし光らして、使われなかったために調子がくるっているその古いさびた機械にふたたび油をぬりはじめる。そして突然彼はふりむいて、監獄のなかから手当りしだいに助かるつもりでいる不運な者を一人つかまえ、その頭髪をつかんで自分のほうへひきよせ、何もかも剥ぎ取り、縄でゆわえ鎖で縛る。そしてふたたび死刑執行がはじまる。
それは恐るべきことではあるが、しかし事実である。
実際、不幸な囚人らへ六か月の猶予が与えられた。そのため彼らは助かるかもしれないという望みを懐くことによって、いわれなく刑を重くされたようなものである。六か月後のある朝、理由もなく、必要もなく、なぜかもわからず、面白半分[#「面白半分」に傍点]に、猶予が撤回されて、それらの男たちは規定の切断機へ冷やかにまわされた。ああ、諸君にたずねたい。それらの男たちが生きているということがわれわれ皆の者に何のわずらいとなったか。フランスには万人のために呼吸する空気が十分にないのか。
ある日、司法省のいやしい一使用人が、どうでもよいことなのに、椅子から立ちあがって、「さて、もう誰も死刑廃止のことを考えていないから、また首切りをはじめてみるかな。」と言ったとすれば、その男の心のなかには、きわめて奇怪な何かがおこったにちがいない。
それにまた、あえていえば、この七月の猶予撤回の後、死刑執行にはもっとも恐ろしい事故がともなって、グレーヴ刑場の話はもっともいまわしいものとなり、死刑の呪うべきことをもっともよく証明した。そして人の嫌悪を倍加させたことは、死刑法をふたたび実施した人々の受ける正当な懲罰である。彼らはそのなせるわざによって罰せられてあれ。あっぱれ出来《しゅったい》したるものかな。
死刑執行が往々にしていかに恐ろしい非道なものであるかについて、ここに二、三の実例をあげなければならない。検事夫人らの神経を痛ませなければならない。女は時として良心である。
昨年の九月の末ごろ、南方で、たぶんパミエでだったと思うが、その場所や日や囚人の名前は今はっきり覚えていない。しかし事実を否定する者があったら、それを探し出してみせてもよい。で、九月の末ごろ、一人の男が監獄のなかで、落ち着いてカルタをや
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