ュに探し求める習慣をもってはいない。著者が本書を思いついたのは、誰でもみなが思いつきうるところ、誰でもおそらく思いついたろうところ(というのは、死刑囚最後の日[#「死刑囚最後の日」に傍点]を頭のなかで考えるか想像するかしなかった者があろうか)、ただ単に公けの広場、グレーヴの刑場においてである。ある日そこを通りながら著者は、断頭台のまっかな木組の下の血の溜りのなかに横たわってるこの避けがたい観念を拾いあげたのである。
それからというもの、最高法院の悲しむべき木曜日のなりゆきにしたがって、死刑決定の叫びがパリの中におこる日がくるたびごとに、グレーヴの刑場に見物人を呼び集める嗄《しわが》れたわめき声が窓の下を通ってゆくのを聞くたびごとに、著者は右の痛ましい観念に再会して、それにとらえられ、憲兵や死刑執行人や群集などのことが頭にいっぱいになり、死にのぞんでいるみじめな男の最期の苦悶を刻々に見る気がし――ただいま彼は懺悔《ざんげ》をさせられてる、ただいま彼は両手を縛られてる――そしてただ一介の詩人たる著者は、そういう恐ろしいことが行なわれているのに平然と自分の仕事をしている全社会にむかって、すべてのことを言ってやらずにはおられなくなり、せきたてられ突っつかれ揺すられて、詩を作っている折にはその詩を頭からもぎとられ、ようやくできあがりかけてる詩をすべて打ち砕かれ、あらゆる仕事を妨げられ、万事に途を遮られ、ただその観念におそわれつきまとわれ攻めつけられるのだった。それは一つの刑罰であって、その日とともに始まって、他方で同時に苦しめられているみじめな男の刑罰と同様に、四時[#「四時」に傍点]まで続くのだった。四時になってようやく、切られし頭死せり[#「切られし頭死せり」に傍点]と大時計の凄惨《せいさん》な音が叫んでから、著者は息をつくことができ、精神の自由をややとりもどすのだった。そしてついにある日、ユルバックの処刑の翌日だったと思うが、著者は本書を書きはじめた。それ以来はじめて胸が和らいだ。司法的執行といわれるそれら公けの罪悪の一つが行なわれる時、著者はもはやそれについて連帯の責がないことを良心から告げられた。グレーヴの刑場から社会の全員の頭上にほとばしりかかる血のしたたりを、著者はもはや自分の額に感じなくなった。
とはいえ、それではまだ足りない。自分の手を洗い清めるのはよい
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