チて、地震のような騒ぎになった。
 そこで、待ってる憲兵の一隊が護衛に加わった。
「帽子取れ、帽子取れ!」と無数の声が一緒に叫んでいた。――国王に対してのようだ。
 そこでこの私までがひどく笑った。そして司祭に言った。
「彼らのほうは帽子だが、私のほうは頭です。」
 一同は並足で進んでいった。
 花物河岸は香りを立てていた。花市の日だった。花売娘らは花をすてて私のほうに駆けだしてきた。
 真正面に、パレ・ド・ジュスティスの角となってる四角な塔のすこし前方に数軒の居酒屋があって、その中二階は好位置だというので見物人でいっぱいだった。ことに女が多かった。居酒屋にとっては上乗の日にちがいない。
 テーブルや椅子やふみ台や荷車などが貸し出されていた。どれにもみなしなうほど見物人が乗っていた。人の血をあてこんだ商人らが声のかぎりに叫んでいた。
「席のいるかたはありませんか。」
 そういう群集に対して私は憤激を覚えた。彼らにむかって叫んでやりたかった。
「俺の席のほしい者はないか。」
 そのうちにも馬車は進んでいた。馬車が進むにつれて、群集はその後ろから崩れていって、私の道すじの遠くのほうに行ってまた集まるのが、私の茫然とした目にも見えた。
 ポン・トー・シャンジュの橋にさしかかった時、私はふと右手後ろのほうを見やった。するとむこう岸に、人家の上方に、彫像のいっぱいついている黒い塔が一つぽつりと立ってるのが目についた。その頂上に、横向きに座ってる二つの石の怪物が見えていた。なぜだかわからないが、私はそれが何の塔だか司祭にたずねた。
「サン・ジャック・ラ・ブーシュリーの塔です。」と死刑執行人は答えた。〔ラ・ブーシュリーは普通の言葉では屠殺所のこと。〕
 靄《もや》がかかっていたし、こまかな白い雨脚が蜘蛛《くも》の巣をはったようになっていたが、それでも周囲に起こることはみな、どうしてだかわからないが、なにひとつ私の目をのがれなかった。そしてそのひとつひとつの事柄が私を悩ました。その感じはとうてい言葉にはつくされない。
 ポン・トー・シャンジュの橋は広かったが、やっとのことでしか通れないほど人でいっぱいになっていた。その橋の中ほどで、私は急激な恐怖の念に襲われた。私は気を失いはしないかと心配した。最後の見栄《みえ》だ。で私は自ら自分をごまかして、なにも見ずなにも聞かないで、ただ司祭の
前へ 次へ
全86ページ中61ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング