に集まってしまった。彼の顔は既に青ざめていたが、更に一抹《いちまつ》の血の気《け》もなくなった。
彼は五人の方へ進んだ。五人の者は微笑して彼を迎え、テルモピレの物語の奥に見らるるあの偉大なる炎に満ちた目をもって、各自彼に叫んだ。
「私を、私を、私を!」
マリユスは惘然《ぼうぜん》として彼らをながめた。やはり五人である! それから彼の目は四着の軍服の上に落ちた。
その瞬間、第五の軍服が天から降ったかのように、四着の軍服の上に落ちた。
五番目の男は救われた。
マリユスは目を上げた。そしてフォーシュルヴァン氏の姿を認めた。
ジャン・ヴァルジャンはちょうど防寨《ぼうさい》の中にはいってきたところだった。
様子を探ってか、あるいは本能によってか、あるいは偶然にか、彼はモンデトゥール小路からやってきた。国民兵の服装のおかげでたやすくこれまで来ることができた。
反徒の方がモンデトゥール街に出しておいた哨兵《しょうへい》は、ひとりの国民兵のために警報を発することをしなかった。「たぶん援兵かも知れない、そうでないにしろどうせ捕虜になるんだ、」と思って、自由に通さしたのである。時機はきわめて切迫していた。自分の任務から気を散らし、その見張りの位置を去ることは、哨兵にはできなかった。
ジャン・ヴァルジャンが角面堡《かくめんほう》の中にはいってきた時、だれも彼に注意を向ける者はいなかった。すべての目は、選まれた五人の男と四着の軍服との上に注がれていた。ジャン・ヴァルジャンもまたそれを見それを聞き、それから黙って自分の上衣をぬいで、それを他の軍服の上に投げやった。
人々の感動は名状すべからざるものだった。
「あの男はだれだ?」とボシュエは尋ねた。
「他人を救いにきた男だ。」とコンブフェールは答えた。
マリユスは荘重な声で付け加えた。
「僕はあの人を知っている。」
その一言で一同は満足した。
アンジョーラはジャン・ヴァルジャンの方を向いた。
「よくきて下すった。」
そして彼は言い添えた。
「御承知のとおり、われわれは死ぬのです。」
ジャン・ヴァルジャンは何の答えもせず、救い上げた暴徒に手伝って自分の軍服を着せてやった。
五 防寨《ぼうさい》の上より見たる地平線
この危急の時この無残な場所における一同の状態には、その合成力としてまたその絶頂として、アンジョーラの沈痛をきわめた態度があった。
アンジョーラのうちには革命の精神が充満していた。けれども、いかに絶対なるものにもなお欠けたところがあるとおり、彼にも不完全なところがあった。あまりにサン・ジュスト的なところが多くて、アナカルシス・クローツ的なところが充分でなかった([#ここから割り注]訳者注 両者共に大革命時代の人[#ここで割り注終わり])。けれど彼の精神は、ABCの友の結社において、コンブフェールの思想からある影響を受けていた。最近になって、彼はしだいに独断の狭い形式から脱し、広汎《こうはん》なる進歩を目ざすようになり、偉大なるフランスの共和をして広大なる人類の共和たらしむることを、最後の壮大な革新として受け入れるに至った。ただ直接現在の方法としては、激烈な情況にあるために、また激烈な処置を欲していた。この点においては彼は終始一貫していた。九三年([#ここから割り注]一七九三年[#ここで割り注終わり])という一語につくされる恐るべき叙事詩的一派に、彼はなお止まっていた。
アンジョーラはカラビン銃の銃口に片肱《かたひじ》をついて舗石《しきいし》の段の上に立っていた。彼は考え込んでいた。そしてある息吹《いぶき》を感じたかのように身を震わしていた。死のある所には、神占の几《つくえ》のごとき震えが起こるものである。魂の目がのぞき出てる彼の眸《ひとみ》からは、押さえつけた炎のような輝きが発していた。と突然彼は頭をもたげた。その金髪は後ろになびいて、星を鏤《ちりば》めた暗澹《あんたん》たる馬車に駕《が》せる天使の頭髪のようで、また後光の炎を発する怒った獅子《しし》の鬣《たてがみ》のようであった。そしてアンジョーラは声を張り上げた。
「諸君、諸君は未来を心に描いてみたか。市街は光に満ち、戸口には緑の木が茂り、諸国民は同胞のごとくなり、人は正しく、老人は子供をいつくしみ、過去は現在を愛し、思想家は全き自由を得、信仰者は全く平等となり、天は宗教となり、神は直接の牧師となり、人の本心は祭壇となり、憎悪は消え失せ、工場にも学校にも友愛の情があふれ、賞罰は明白となり、万人に仕事があり、万人のために権利があり、万人の上に平和があり、血を流すこともなく、戦争もなく、母たる者は喜び楽しむのだ。物質を征服するは第一歩である。理想を実現するは第二歩である。進歩が既に何をなしたか考えてみよ。昔最初の人類は、怪物が過ぎ行くのを恐怖に震えながら眼前に見た、水の上にうなりゆく怪蛇《かいだ》を、火を吐く怪竜《かいりゅう》を、鷲《わし》の翼と虎《とら》の爪《つめ》とをそなえてかける空中の怪物たるグリフォンを。それらは皆人間以上の恐るべき獣であった。しかるに人間は、罠《わな》を、知力の神聖なる罠を張り、ついにそれらの怪物を捕えてしまったのである。
吾人は怪蛇《かいだ》を制御した、それを汽船という。吾人は怪竜《かいりゅう》が制御した、それを機関車という。吾人はまさにグリフォンを制御せんとしている、既に手中に保っている、それを軽気球という。そしてこのプロメテウスのごとき仕事が成就する日こそ、すなわち怪蛇と怪竜とグリフォンとの三つの古代の夢想を、ついにおのれの意志に馴致《じゅんち》し終わる日こそ、人間は水火風三界の主となり、他の生ある万物に対しては、いにしえの神々が昔人間に対して有していたような地位を、獲得するに至るだろう。奮励せよ、そして前進せよ! 諸君、吾人はどこへ行かんとするのであるか。政府を確立する科学へである、唯一の公《おおやけ》の力となる事物必然の力へである、自ら賞罰を有し明白に宣揚する自然の大法へである、日の出にも比すべき真理の曙《あけぼの》へである。吾人は各民衆の協和へ向かって進み、人間の統一へ向かって進む。もはや虚構を許さず、寄食を許さぬ。真実なるものによって支配されたる現実、それが目的である。文化はその審判の廷を、ヨーロッパの頂に、後には全大陸の中心に、知力の大議会のうちに、開くに至るだろう。これにやや似たものは既に行なわれた。古代ギリシャの連邦議員は、年に二回会議を開き、一つは神々の場所たるデルフにおいてし、一つは英雄の場所たるテルモピレにおいてした。やがては、ヨーロッパもこの連邦議員を有し、地球全体もこの連邦議員を有するに至るだろう。フランスは実に、この崇高なる未来を胸裏にいだいている。それが十九世紀の懐妊である。ギリシャによって描かれたその草案は、フランスによって完成されるに恥ずかしくないものである。僕の言を聞け、フイイー、君は勇敢な労働者、民衆の友、諸民衆の友だ。僕は君を尊敬する。君は明らかに未来を洞見《どうけん》した、君のなすところは正しい。君は、フイイー、父もなく母も持たなかった、そして、仁義を母とし権利を父とした。君はここに死なんとしている、すなわち勝利を得んとしてるのだ。諸君、今日の事はいかになりゆこうとも、敗れることによってまた打ち勝つことによって、われわれがなさんとするのは一つの革命である。火災が全市を輝かすように、革命は全人類を輝かす。しかもわれわれはいかなる革命をなさんとするのか。それは今言うとおり真実なるものの革命である。政治的見地よりすれば、ただ一つの原則あるのみだ、すなわち人間が自らおのれの上に有する主権である。この自己に対する自己の主権を自由[#「自由」に傍点]という。この主権の二個もしくは数個が結合するところに国家がはじまる。しかしその結合のうちには何ら権利の減殺はない。個々の主権がその多少の量を譲歩するのは、ただ共同的権利を造らんがためである。その量は各人皆同等である。各人が万人に対してなすこの譲歩の同一を、平等[#「平等」に傍点]と言う。共同的権利とは、各人の権利の上に光り輝く万人の保護にほかならない。各人に対するこの万人の保護を、友愛[#「友愛」に傍点]という。互いに結合するあらゆる主権の交差点を、社会[#「社会」に傍点]という。その交差は一つの接合であって、その交差点は一つの結び目である。かくて社会的関係が生じてくる。ある者はそれを社会的約束という。しかし両者は同一のものである、約束なる語はその語原上より言っても関係という観念で作られたものである。われわれはこの平等ということをよく了解しておかなくてはならない。なぜなれば、自由を頂点とするならば、平等は基底だからである。平等とは諸君、同じ高さの植物を言うのでない、大きな草の葉や小さな樫《かし》の木の仲間を言うのではない。互いに減殺し合う一連の嫉妬《しっと》を言うのではない。それは、民事上よりすれば、あらゆる能力が同等の機会を有することであり、政治上よりすれば、あらゆる投票が同等の重さを有することであり、宗教上よりすれば、あらゆる本心が同等の権利を有することである。平等[#「平等」に傍点]は一つの機関を持つ、すなわち無料の義務教育である。アルファベットに対する権利、まずそこから始めなければならない。小学校を万人に強請し、中学校は万人の意に任せる、それが定法である。同一の学校から同等の社会が生ずる。そうだ、教育の問題である。光明、光明! すべては光明より発し、光明に返る。諸君、十九世紀は偉大である、しかし二十世紀は幸福であるだろう。二十世紀にはもはや、古い歴史に見えるようなものは一つもないだろう。征服、侵略、簒奪《さんだつ》、武力による各国民の競争、諸国王の結婚結合よりくる文化の障害、世襲的暴政を続ける王子の出生、会議による民衆の分割、王朝の崩壊による国家の分裂、二頭の暗黒なる山羊《やぎ》のごとく無限の橋上において額をつき合わする二つの宗教の争い、それらももはや今日のように恐るるに及ばないだろう。飢饉《ききん》、不正利得、困窮から来る売淫《ばいいん》、罷工から来る悲惨、絞首台、剣、戦争、および事変の森林中におけるあらゆる臨時の追剥《おいはぎ》、それらももはや恐るるに及ばないだろう、否もはや事変すらもないとさえ言い得るだろう。人は幸福になるだろう。地球がおのれの法則を守るごとく、人類はおのれの大法を守り、調和は人の魂と天の星との間に立てられるだろう。惑星が光体の周囲を回るごとく、人の魂は真理の周囲を回るだろう。諸君、われわれがいる現在の時代は、僕が諸君に語っているこの時代は、陰惨なる時代である。しかしそれは未来を購《あがな》うべき恐ろしい代金である。革命は一つの税金である。ああかくて人類は、解放され高められ慰めらるるであろう! われわれはこの防寨《ぼうさい》の上において、それを人類に向かって断言する。愛の叫びは、もし犠牲の高処からでないとすれば果たしてどこからいで得るか。おお兄弟諸君、ここは考える者らと苦しむ者らとの接合点である。この防寨は、舗石《しきいし》からもしくは角材からもしくは鉄屑《てつくず》からできてるのではない。二つの堆積からできてるのだ、思想の堆積と苦難の堆積とからである。ここにおいて悲惨は理想と相会する。白日は暗夜を抱擁して言う、予は今汝と共に死せんとし汝は今予と共に再生せんとする。あらゆる困苦を抱きしむることから信念がほとばしり出る。苦難はここにその苦痛をもたらし、思想はここにその不滅をもたらしている。その苦痛とその不滅とは相交わって、われわれの死を形造《かたちづく》る。兄弟よ、ここで死ぬ者は未来の光明のうちに死ぬのである。われわれは曙《あけぼの》の光に満ちたる墳墓の中にはいるのである。」
アンジョーラは口をつぐんだ、というよりもむしろ言葉を途切らした。彼の脣《くちびる》は、なお自分自身に向かって語り続けてるかのように、黙々として動いていた。ために人々は、注意を
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