ら、高い声で言った。
「実に偉大な殉教者だ。」
 それから、彼の胸は落ちくぼみ、頭は震え動き、あたかも死に酔わされたかのようになって、両膝《りょうひざ》の上に置かれた両手はズボンの布に爪《つめ》を立てはじめた。
 コゼットは彼の肩をささえ、すすり泣きながら、彼に何か言おうとつとめたが、それもできなかった。ただ、涙の交じった痛ましい唾液《だえき》とともに出て来る単語のうちに、次のような言葉がようやく聞き取られた。「お父様! 私たちのもとを離れて下さいますな。せっかくお目に掛かったままお別れになるなどということが、あるものでございましょうか。」
 臨終の苦悶《くもん》は紆余《うよ》曲折すると言い得る。あるいは行き、あるいはきたり、あるいは墳墓の方へ進み、あるいは生命の方へ戻ってくる。死んでゆくことのうちには暗中模索の動作がある。
 ジャン・ヴァルジャンはその半ば失神の状態の後、再び気を取り直し、あたかも暗黒の影を払い落とそうとするように額を振り立て、ほとんどまったく正気に返った。彼はコゼットの袖《そで》の一|襞《ひだ》を取り、それに脣《くちびる》をあてた。
「回復してきました、先生、回復し
前へ 次へ
全618ページ中607ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング