しを見てごらん。空《から》になってるから。」
「それは、ただ水を飲んだというだけで、なにも食べたことにはなりません。」
「でも、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「水だけしかほしくなかったのだとしたら?」
「それは喉《のど》がかわいたというもんです。いっしょに何にも食べなければ、熱ですよ。」
「食べるよ。明日《あした》は。」
「それともいつかは、でしょう。なぜ今日召し上がらないんです。明日は食べよう、なんていうことがありますか。私がこしらえてあげたのに手をつけないでおくなんて! この煮物はほんとにおいしかったんですのに!」
 ジャン・ヴァルジャンは婆さんの手を取った。
「きっと食べるよ。」と彼は親切な声で言った。
「あなたはわからずやです。」と門番の女は答えた。
 ジャン・ヴァルジャンはその婆さんよりほかにはほとんどだれとも顔を合わせなかった。パリーのうちにはだれも通らない街路があり、だれも訪れてこない家がある。彼はそういう街路の一つに住み、そういう家の一つにはいっていた。
 まだ外に出かけた頃、彼はある鋳物屋の店で、五、六スー出して小さな銅の十字架像を買い、それを寝台の正面の釘《くぎ
前へ 次へ
全618ページ中547ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング