卑賤《ひせん》とを積み上げて民衆を酔わすこと、間諜が醜業をささえる柱となって衆人を侮辱しながらかえって衆人を侮辱しながらかえって衆人を笑わせること、金ぴかのぼろであり、半ば醜業と光明とであり、吠《ほ》えまた歌っている、その生きた恐ろしい積み荷が、辻馬車《つじばしゃ》の四つの車輪に運ばれてゆくのを見て、群集が喜ぶこと、あらゆる恥辱でできてるその光栄に向かって、人々が手をたたいて喝采《かっさい》すること、二十の頭を持った喜悦の怪蛇《かいだ》を自分たちのまんなかに引き回してもらうという以外には、群集にとって何らおもしろいにぎわいもないということ、それは確かに悲しむべきことである。しかしどうしたらいいのか。リボンと花とで飾られた汚賤《おせん》のそれらの車は、公衆の笑いによって侮辱されながら赦《ゆる》されているではないか。すべての者の笑いは、一般の堕落を助ける。ある種の不健全なにぎわいは、民衆を分散さして多衆となす。そして多衆にとっては暴君にとってと同じく、諧謔《かいぎゃく》が必要である。国王にはロクロールがあり、人民にはパイヤスがある([#ここから割り注]訳者注 前者はルイ十四世の下にいた諧謔
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