スの結婚式にははいってきていない。しかし気長に待つがいい。いわゆるいい趣味はだんだんひろがってゆくもので、やがてはそれも行なわれるようになるだろう。
一八三三年には、また百年以前には、馬車を大駆けにさせる結婚式などというものは行なわれていなかった。
変に思われるかも知れないが、その頃の人の考えでは、結婚というものはごく打ち解けた公《おおやけ》の祝いであり、淳朴《じゅんぼく》な祝宴は家庭の尊厳を汚するものではなく、たといそのにぎわいは度を越えようと、猥《みだ》らなものでさえなければ、少しも幸福の妨げとなるものではないとされ、また、やがて一家族が生まれいずべきふたりの運命の和合をまず家の中で始め、同棲《どうせい》生活がその楔《くさび》として長く結婚の室《へや》を有することは、至って尊い善良なことだとされていた。
そして人々は、不謹慎にも自宅で結婚をしたのである。
マリユスとコゼットとの結婚も、現今|廃《すた》っているその風習に従って、ジルノルマン氏の家でなされた。
教会堂に掲示すべき予告、正式の契約書、区役所、教会堂、それら結婚上の仕事はごく当然な普通なことではあるが、いつも多少
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