たらしむるとともに憤激さしたその男に、まさしく彼は何ら抵抗することなく屈服したのではなかった。ジャン・ヴァルジャンと向き合って馬車の中にいた間に、幾度となく法の虎《とら》は彼のうちに咆哮《ほうこう》した。幾度となく彼はジャン・ヴァルジャンの上に飛びかかりたい念に駆られた。彼をつかみ彼を食わんとした、すなわち彼を捕縛せんとした。実際それは誠に容易なことだった。衛舎の前を通りかかる時、「これは監視違反の囚人だ」と叫び、憲兵らを呼び、「この男を君たちに引き渡す」と言い、それから自分は立ち去り、罪人をそこに残し、その他のことはいっさいかまわず、自分は少しもそれに関与しなければよかったのである。ジャン・ヴァルジャンは永久に法律の捕虜となり、法律の欲するままに処理せらるるだろう。それこそ最も正当なことだった。ジャヴェルはそれらのことをひとり考えた。そしてその方向を取り、手を下し、彼をつかもうとした。しかし今それができなくなったと同じく、その時にもそれができなかった。ジャン・ヴァルジャンの首筋に向かって痙攣的《けいれんてき》に手をあげるたびごとに、その手は非常な重さに圧せられるように再び下にたれた。
前へ
次へ
全618ページ中316ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング