くない時代だったのである。下水道の浚渫《しゅんせつ》はまったく豪雨にうち任せてあったが、雨水はそれを掃除するというよりも閉塞《へいそく》することの方が多かった。ローマは汚水の溝渠《こうきょ》に多少の詩味を与えてゼモニエ([#ここから割り注]階段[#ここで割り注終わり])と呼んでいたが、パリーはそれを侮辱してトルー・プュネー([#ここから割り注]臭気孔[#ここで割り注終わり])と呼んでいた。科学も迷信も同じ嫌悪《けんお》の情をいだいていた。臭気孔は、衛生にとっても伝説にとっても共に嫌悪《けんお》すべきものだった。大入道がムーフタールの下水道の臭い穹窿《きゅうりゅう》の下に閉じ込められていた。マルムーゼら([#ここから割り注]訳者注 ルイ十五世の時陰謀をはかった青年諸侯[#ここで割り注終わり])の死体はバリユリーの下水道に投ぜられていた。ファゴンの説によると、一六八五年の恐ろしい熱病は、マレーの下水道にできた大きな割れ目から起こったものとのことである。その割れ目は、一八三三年まで、サン・ルイ街の風流馬車の看板が出てる前の方に、大きく口を開いたままであった。またモルテルリー街の下水道の口は、
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