ていて、なるがままに任せられていた。
 そういうふうにこの古いパリーは、論議と不決定と模索とにすべて放任されていた。長い間かなり愚昧《ぐまい》のままであった。その後、八九年([#ここから割り注]一七八九年[#ここで割り注終わり])はいかにして都市に精神が出て来るかを示した。しかしいにしえにおいては、首府はあまり頭脳を持っていなかった。精神的にもまたは物質的にも自分の仕事を処理する道を知らず、弊害を除去することができないとともに汚物を除去することもできなかった。すべてが妨害となり、すべてが疑問となった。たとえば、下水道はまったく探査することができなかった。市中においては万事わけがわからないとともに、汚水だめの中においては方向を定めることができなかった。地上にては了解が不可能であり、地下にては脱出が不可能だった。言語の混乱の下には洞穴《どうけつ》の混乱があった。迷宮がバベルの塔と裏合わせになっていた。
 時とするとパリーの下水道は、あたかも軽視されたナイル川が突然憤ることがあるように、氾濫《はんらん》の念を起こすことがあった。きたならしいことではあるが、実際下水道の漲溢《ちょういつ》が幾度
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