持って象牙の塔[#「象牙の塔」に傍点]([#ここから割り注]聖母マリア[#ここで割り注終わり])を歌うよりも、よほど勝《まさ》っている。」
祖父は九十歳の踵《かかと》でくるりと回って、発条《ばね》がとけるような具合に言い出した。
[#ここから2字下げ]
「かくてアルシペよ、夢想に限界《かぎり》を定めて、
やがて汝《な》が婚姻するは、まことなるか。
[#ここで字下げ終わり]
時にね。」
「何です、お父さん。」
「お前には親しい友だちがあったか。」
「ええ、クールフェーラックという者です。」
「今どうしてる?」
「死んでいます。」
「それでいい。」
彼はふたりのそばに腰を掛け、コゼットにも腰掛けさし、彼らの四つの手を自分の年老いた皺《しわ》のある手に取った。
「実にりっぱな娘さんだ。このコゼットはまったく傑作だ。小娘でまた貴婦人だ。男爵夫人には惜しい。生まれながらの侯爵夫人だ。睫毛《まつげ》もりっぱだ。いいかね、お前たちは本当の道を踏んでるということをよく頭に入れとかなくてはいかん。互いに愛し合うんだ。愛してばかになるんだ。愛というものは、人間の愚蒙《ぐもう》で神の知恵だ。互いに慕い合うがいい。ただ、」と彼は急に沈み込んで言い添えた、「一つ悲しいことがある。それがわしの気がかりだ。わしの財産の半分以上は終身年金になっている。わしが生きてる間はいいが、わしが死んだら、もう二十年もしたら、かわいそうだが、お前たちは一文なしになる。男爵夫人たるこのまっ白な美しい手も、食うために働かなくてはならないことになるだろう。」
その時、荘重な落ち着いた声が聞こえた。
「ウューフラジー・フォーシュルヴァン嬢は、六十万フランの金を持っています。」
その声はジャン・ヴァルジャンから出たのだった。
彼はその時まで一言も口をきかずにいた。だれも彼がそこにいることさえ知らないがようだった。そして彼は幸福な人々のうしろにじっと立っていた。
「ウューフラジー嬢というのは何のことだろう?」と祖父はびっくりして尋ねた。
「私です。」とコゼットは答えた。
「六十万フラン!」とジルノルマン氏は言った。
「たぶん一万四、五千フランはそれに足りないかも知れませんが。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
そして彼はジルノルマン嬢が書物だと思っていた包みをテーブルの上に置いた。
ジャン・ヴァルジャンは自ら包みを開いた。それは一束の紙幣だった。人々はそれをひろげて数えてみた。千フランのが五百枚と五百フランのが百六十八枚はいっていて、全部で五十八万四千フランあった。
「これは結構な書物だ。」とジルノルマン氏は言った。
「五十八万四千フラン!」と伯母《おば》がつぶやいた。
「これで万事うまくいく、そうじゃないか。」と祖父はジルノルマン嬢に言った。「マリユスの奴、分限者の娘を狩り出したんだ。こうなったらお前も若い者の恋にかれこれ言えやしないだろう。学生は六十万フランの女学生を見つけ出す。美少年はロスチャイルド以上の働きをするというものだ。」
「五十八万四千フラン!」とジルノルマン嬢は半ば口の中で繰り返していた。「五十八万四千フラン、まあ六十万フランだ。」
マリユスとコゼットとは、その間ただ互いに顔を見合っていた。ふたりはそんなことにほとんど注意もしなかった。
五 金は公証人よりもむしろ森に託すべし
読者は長い説明を待つまでもなく既に了解したであろう。ジャン・ヴァルジャンはシャンマティユー事件の後、最初の数日間の逃走によって、パリーにき、モントルイュ・スュール・メールでマドレーヌ氏の名前で儲《もう》けていた金額を、ちょうどよくラフィット銀行から引き出すことができた。そして再び捕えられることを気使って――果たして間もなく捕えられたが――モンフェルメイュの森の中のブラリュの地所と言われてる所に、その金を埋めて隠しておいた。金額は六十三万フランで、全部銀行紙幣だったので、わずかな嵩《かさ》で一つの小箱に納めることができた。ただその小箱に湿気を防ぐため、更に栗の木屑《きくず》をいっぱいつめた樫《かし》の箱に入れておいた。同じ箱の中に彼は、も一つの宝である司教の燭台《しょくだい》をもしまった。モントルイュ・スュール・メールから逃走する時彼がその二つの燭台を持っていったことを、読者は記憶しているだろう。ある夕方ブーラトリュエルが最初に見つけた男は、ジャン・ヴァルジャンにほかならなかった。その後ジャン・ヴァルジャンは、金がいるたびごとにそれを取りにブラリュの空地にやってきた。前に言ったとおり彼が時々家をあけたのは、そのためだった。彼は人の気づかない茂みの中に一本の鶴嘴《つるはし》を隠しておいた。それから彼は、マリユスが回復期にはいったのを見た時、その金の役立つ時機が近づい
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