機官の帽をかぶった豚がついており、他の面には、法王の冠をかぶった狼がついていた。
大溝渠《だいこうきょ》の入り口の所で、最も意外なものに人々は出会った。その入り口は、昔は鉄格子《てつごうし》で閉ざされていたのであるが、もう肱金《ひじがね》しか残っていなかった。ところがその肱金の一つに、形もわからないよごれた布が下がっていた。おそらく流れてゆく途中でそこに引っかかって、やみの中に漂い、そのまま裂けてしまったものだろう。ブリュヌゾーは角燈をさしつけて、そのぼろを調べていた。バチスト織りの精巧な麻布で、いくらか裂け方の少ない片すみに、冠の紋章がついていて、その上に LAUBESP という七文字が刺繍《ししゅう》してあった。冠は侯爵の冠章だった。七文字は Laubespine([#ここから割り注]ローベスピーヌ[#ここで割り注終わり])という女名の略字だった。一同は眼前のその布片がマラーの柩布《ひつぎぎれ》の一片であることを見て取った。マラーには青年時代に情事があった。それは獣医としてアルトア伯爵の家に寄寓《きぐう》していた頃のことである。歴史的に証明されてるある一貴婦人との情事から、右の敷き布が残っていた。偶然に取り残されていたのか、あるいは記念として取って置かれたのか、いずれかはわからないがとにかく、彼が死んだ時家にある多少きれいな布と言ってはそれが唯一のものだったので、それを柩布《ひつぎぎれ》としたのであった。婆さんたちは、この悲劇的な民衆の友[#「民衆の友」に傍点]を、歓楽のからんだその布に包んで、墳墓へ送りやったのである。
ブリュヌゾーはそこを通り越した。一同はぼろをそのままにしておいて手をつけなかった。それは軽蔑からであったろうか、あるいは尊敬からであったろうか? ともあれマラーはそのいずれをも受けるの価値があった。その上宿命の跡はあまりに歴然としていて、人をしてそれに触れることを躊躇《ちゅうちょ》さしたのである。もとより、墳墓に属する物はそれが自ら選んだ場所に放置しておくべきである。要するにその遺物は珍しいものであった。侯爵夫人がそこに眠っており、マラーがそこに腐っていた。パンテオンを通って、ついに下水道の鼠《ねずみ》の中に到着したのである。その寝所の布片は、昔はワットーによってあらゆる襞《ひだ》まで喜んで写されるものであったが、今はダンテの凝視にふさわしいものとなり果てていた。
パリーの地下の汚水溝渠《おすいこうきょ》を全部検分するには、一八〇五年から一二年まで七年間を要した。進むにしたがってブリュヌゾーは、種々の大事業を計画し、指揮し、成就した。一八〇八年には、ポンソーの水路の底部を低くし、また方々に新水路を作っては下水道をひろげ、一八〇九年には、サン・ドゥニ街の下をインノサンの噴水の所まで、一八一〇年には、ゾロアマントー街の下とサルペートリエール救済院の下とに、一八一一年には、ヌーヴ・デ・プティー・ペール街の下、マイュ街の下、エシャルプ街の下、ロアイヤル広場の下に、一八一二年には、ペー街の下とアンタン大道の下とに、下水道をひろげた。同時にまた、あらゆる水路を消毒し健全にした。二年目からブリュヌゾーは、婿のナルゴーをも仕事に加わらした。
かくのごとくして十九世紀の初めには、旧社会はその二重底を清め下水道の化粧をした。とにかくそれだけ清潔になったわけである。
迂曲《うきょく》し、亀裂し、石畳はなくなり、裂け目ができ、穴があき、錯雑した曲がり角《かど》が入り組み、秩序もなく高低し、悪臭を放ち、野蛮で、暗黒のうちに沈み、舗石《しきいし》にも壁にも傷痕《しょうこん》がつき、恐怖すべき姿で横たわっている、そういうのがパリーの昔の下水道をふり返って見たありさまだった。四方への分岐、塹壕《ざんごう》の交差、枝の形、鴨足《かもあし》の形、坑道の中にあるような亀裂、盲腸、行き止まり、腐蝕した丸天井、臭い水たまり、四壁には湿疹《しっしん》のような滲出物《しんしゅつぶつ》、天井からたれる水滴、暗黒、実にバビロンの町の胃腸であり、洞窟《どうくつ》であり、墓穴であり、街路が穿《うが》たれている深淵《しんえん》であり、かつては華麗であった醜汚の中に、過去と称する盲目の巨大な土竜《もぐら》が彷徨《ほうこう》するのが暗黒の中に透かし見らるる、広大なる土竜《もぐら》の穴であって、その古い吐出口の墓窟のごとき恐ろしさに匹敵するものは何もない。
繰り返して言うが、そういうのがすなわち過去[#「過去」に傍点]の下水道であった。
五 現在の進歩
今日では、下水道は清潔で、冷ややかで、まっすぐで、規則正しい。イギリスにてレスペクタブル([#ここから割り注]りっぱな[#ここで割り注終わり])という言葉が含む意味の理想的なものを、ほとん
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