大にも見棄《みす》てられることに同意する。障害に対しては不屈であり、忘恩に対しては柔和である。
とはいえ、そもそもそれは、忘恩であろうか?
しかり、人類の見地よりすれば。
否、個人の見地よりすれば。
進歩は人間の様式である。人類一般の生命を進歩[#「進歩」に傍点]と称する。人類の集団的歩行を進歩[#「進歩」に傍点]と称する。進歩は前進する。それは天国的なるものおよび神的なるものの方へ向かって、地上的な人間的な大旅行を試みる。けれども落伍者《らくごしゃ》を収容するための休憩所を持っている。ある燦然《さんぜん》たるカナンの地([#ここから割り注]訳者注 神がイスラエル人に与うべきことを約束せる土地―旧約[#ここで割り注終わり])が突然地平線上に現われるのを前にして、瞑想《めいそう》するための停立所を持っている。眠るべき夜を持っている。そして、人間の魂の上に影がおりているのを見、眠ってる進歩を暗黒のうちに探りあてながらそれをさまし得ないということは、思想家の深い痛心の一つである。
「おそらく神は死んでる[#「おそらく神は死んでる」に傍点]」とジェラール・ド・ネルヴァルは本書の著者に向かってある時言った。しかしそれは進歩と神とを混同し、運動の中絶をもって運動者の死と見做《みな》しての言である。
絶望する者は誤っている。進歩は必ず目をさます。また進歩は結局眠りながらも前進したと言ってもいい、なぜなら成長したからである。進歩が再び立ち上がる時、その姿は前よりも高くなっている。常に平静であることは、川自身の関するところでないと同じく、進歩自身の関するところではない。決して障壁を築くな、決して岩石を投入するな。障害は水を泡立《あわだ》たしめ、人類を沸騰せしむる。そこに混乱が生ずる。しかしその混乱の後にも多少前進したことが認められる。一般的平和にほかならない秩序が立てられるまでは、調和と統一とが君臨するまでは、進歩はその道程中に革命を持つであろう。
しからば進歩[#「進歩」に傍点]とは何であるか? それは上に言ったとおりである。民衆の恒久なる生命である。
しかるに、個人の一時的生命が人類の永遠なる生命に相反することが、時として起こってくる。
吾人はかく高言することができる。個人は一定の利益を有しており、条件を付してそれを譲り得るものである。現在は宥《ゆる》し得べき程度の利己心を持っている。一時の生命もその権利を有していて、未来のために常に犠牲にせらるべきものではない。現在地上を通るべき順番になっている時代は、後に地上を通るべき順番になってる他の時代のために、結局同等な他の時代のために、その命脈を縮めらるべきはずではない。すべての者[#「すべての者」に傍点]とよばるるある者がつぶやく。「私は存在している。私は年若く恋に燃えてる。あるいは、年老い休息を欲してる。私は一家の父であり、働き、繁昌《はんじょう》し、事業に成功し、貸し家を持ち、政府に預けた金を持ち、幸福であり、妻も子も持っており、すべてそれらのものを愛し、生き存《なが》らえたい。私を静かにさしておいて欲しい。」そういう所から、ある時におよんで、人類の豪侠《ごうきょう》なる前衛に対する深い冷淡さが生じてくる。
その上また高遠なる理想は、戦いをなしながらその光り輝く天地を去るということを、吾人は是認したい。明日の真理なる理想は、咋日の虚偽から、その方法すなわち戦いを借りてくる。未来なる理想は、過去のごとく行動する。純潔なる観念でありながら、自ら違法の行為となる。おのれの勇壮のうちに暴戻をも交じえる。その暴戻については自ら責を負うのが至当である。主義に反したる時宜と便宜との暴戻であって、必ずその罪を負わなければならない。理想がなす反乱も、古い軍法を手にして戦う。間諜《かんちょう》を銃殺し、反逆者を処刑し、生ける者を捕えて未知の暗黒界に投げ込む。死を使用する。そしてこれは重大なことである。理想はもはや、その不可抗不可朽の力たる光明に信念を持たないがようである。剣をもって人を打つ。しかるにいかなる剣も単一なるものはない。あらゆる剣は皆|両刃《もろは》である。一方で他を傷つける者は、他方でおのれを傷つける。
以上の制限を付しながらも、しかも厳重に付しながらも、未来の光栄ある戦士らを、理想の司祭らを、そが成功すると否とを問わず、吾人は賛美せざるを得ないのである。彼らの業が流産に終わろうとも、彼らは尊敬に値する。そしておそらくその不成功のうちにこそ、彼らはいっそうの荘厳さを持つ。進歩にかなったる勝利は、民衆の喝采《かっさい》を受くるに足る。しかし勇壮な敗北は、民衆の心を動かすに足る。一つは壮大であり、一つは崇高である。成功よりもむしろ主義に殉ずることを取る吾人に言わすれば、ジョン・ブラ
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