り、その個人は閣下に関係ある男に候。小生はただ閣下の御ためを計るの光栄を希望する者にて、おぼしめしこれ有り候わばその秘密を御伝え申すべく候。男爵夫人閣下は素性高き方に候えば、小生はただ閣下の貴き家庭より何ら権利なきその男を追い払い得る、きわめて簡単なる方法を御知らせ申すべく候。高徳の聖殿も長く罪悪と居を共にする時は、ついには汚るるものに御座候。
  小生は控え室にて、閣下の御さし図を相待ち居候。敬具。
[#ここで字下げ終わり]

 手紙にはテナル[#「テナル」に傍点]と署名してあった。
 その署名は必ずしも偽りではなかった。ただ少し縮めただけのものだった。
 その上、その冗文と文字使いとは事実を明らかに語っていた。出所は充分|明瞭《めいりょう》だった。疑問をはさむの余地はなかった。
 マリユスは深く心を動かされた。そして驚駭《きょうがい》の後に喜びの念をいだいた。今はもはや、捜索しているもうひとりの男を、自分を救ってくれた男を、見いだすのみであって、それができればもう他に望みはなくなるわけだった。
 彼は仕事机の引き出しを開き、中からいくばくかの紙幣を取り出し、それをポケットに入れ、机をまた閉ざし、そして呼鈴《ベル》を鳴らした。バスクが扉《とびら》を少し開いた。
「ここに通してくれ。」とマリユスは言った。
 バスクは案内してきた。
「テナル様でございます。」
 ひとりの男がはいってきた。
 マリユスは新たな驚きを覚えた。はいってきたのはまったく見知らぬ男だった。
 その男は、と言ってももう老人だが、大きな鼻を持ち、頤《あご》を首飾りの中につき込み、目には緑色の琥珀絹《こはくぎぬ》で縁|覆《おお》いした緑色の眼鏡《めがね》をかけ、髪は額の上に平らになでつけられて眉毛《まゆ》の所まで下がり、イギリスの上流社会の御者がつけてる鬘《かつら》のようだった。その髪は半ば白くなっていた。頭から足先まで黒ずくめで、その黒服はすり切れてはいるが小ぎれいだった。一ふさの飾り玉が内隠しから出ていて、時計がはいってることを示していた。手には古い帽子を持っていた。前かがみに歩いていて背中が曲がってるために、そのお時儀はいっそう丁寧らしく見えた。
 一目見ても不思議なことには、その上衣はよくボタンがかけられてるのにだぶだぶしていて、彼のために仕立てられたものではなさそうだった。
 ここにちょっ
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