ジャンはまだ帰らないと答えさした。
 コゼットはそれ以上尋ねなかった。この世でなくてならないものは、ただマリユスばかりだったから。
 なお言っておくが、マリユスとコゼットの方でもまた不在になった。彼らはヴェルノンへ行った。マリユスはコゼットを父の墓へ連れて行った。
 マリユスはコゼットをしだいにジャン・ヴァルジャンからのがれさした。コゼットはされるままになっていた。
 それにまた、子供の忘恩などとある場合にはあまりきびしく言われてることも、実は人が考えるほど常にとがむべきことではない。それは自分自身の忘恩である。他の所で言っておいたように、自然は「前方を見て」いる。自然は生きてるものを、来る者と去る者とに分かっている。去る者は闇《やみ》の方へ向き、来る者は光明の方へ向いている。ここにおいてか乖離《かいり》が生じてきて、老いたる者にとっては宿命的なものとなり、若い者にとっては無意識的なものとなる。その乖離《かいり》は初めは感じ難いほどであるが、木の枝が分かれるようにしだいに大きくなる。小枝はなお幹についたまま遠ざかってゆく。それは小枝の罪ではない。青春は喜びのある所へ、にぎわいの方へ、強い光の方へ、愛の方へ、進んでゆく。老衰は終焉《しゅうえん》の方へ進んでゆく。両者は互いに姿を見失いはしないが、もはや抱擁はしなくなる。若き者は人生の冷ややかさを感じ、老いたる者は墳墓の冷ややかさを感ずる。そのあわれなる子供らをとがめてはいけない。

     二 油尽きたるランプの最後のひらめき

 ある日、ジャン・ヴァルジャンは階段をおりてゆき、街路に二、三歩ふみ出して、ある標石の上に腰をおろした。それは、六月五日から六日へかけた晩、ガヴローシュがやってきた時、彼が考えふけりながら腰掛けていたのと、同じ石であった。彼はそこにしばらくじっとしていたが、やがてまた階上《うえ》へ上っていった。それは振り子の最後の振動だった。翌日、彼はもう室《へや》から出なかった。その翌日には、もう寝床から出なかった。
 門番の女は、キャベツや馬鈴薯《ばれいしょ》に少しの豚肉をまぜて、彼の粗末な食物をこしらえてやっていたが、その陶器皿の中を見て叫んだ。
「まああなたは、昨日《きのう》から何も召し上がらないんですね。」
「いや食べたよ。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
「お皿はまだいっぱいですよ。」
「水差
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