ェの調子をはさんでいた。妖怪《ようかい》にしてまた悪童である彼は、自然の声とパリーの声とで一つの雑曲を作っていた。小鳥の調子と工場の調子とを一つに綯《な》い合わしていた。自分の仲間と相接した地位にある画工どものことをよく知っていた。また三カ月ばかり印刷所に奉公していたこともあるらしい。ある時、四十人のひとり([#ここから割り注]アカデミー会員の一人[#ここで割り注終わり])たるバウール・ロルミヤン氏の所へ使いに行ったこともある。ガヴローシュは文字を知ってる浮浪少年であった。
ガヴローシュは、ふたりの子供を象の中に泊めてやったあの雨の降るひどい晩に、自分の実の弟どものために天の役目をしてやったのだということは、夢にも知らなかった。晩は弟どもを助け朝は父を助けたのが、その一夜だった。夜明けに彼はバレー街を去り、急いで象の所に帰ってき、巧みにふたりの子供を引き出し、どうにかして手に入れた朝食を三人で食べ、それから、ほとんど自分を育ててくれた親切な母である街路にふたりを託して、立ち去ってしまった。別れる時彼は、その場所で晩にまた会ってやるとふたりに約束し、別れの言葉の代わりに次のようなことを言い残した。「俺はステッキを折る[#「俺はステッキを折る」に傍点]、言い換えれば[#「言い換えれば」に傍点]、尻《しり》を向ける[#「を向ける」に傍点]、またいい言葉で言えば[#「またいい言葉で言えば」に傍点]、立ち去るぜ[#「立ち去るぜ」に傍点]。お前たちはな[#「お前たちはな」に傍点]、親父《おやじ》にも[#「にも」に傍点]母親《おふくろ》にも会わなかったら[#「にも会わなかったら」に傍点]、晩にまたここに戻ってこい[#「晩にまたここに戻ってこい」に傍点]。晩食を食わしてやり寝かしてやるからな[#「晩食を食わしてやり寝かしてやるからな」に傍点]。」ところがふたりの子供は、巡査に拾われて養育院にやられたか、あるいは見世物師に盗まれたか、あるいは単にパリーの広い渦の中に巻き込まれてしまったかして、そこに戻ってこなかった。現在の社会のどん底には、こんなふうに行方《ゆくえ》のわからなくなった者がたくさんある。ガヴローシュは再び彼らを見なかった。あの晩から十週余り過ぎ去った。一度ならず彼は頭をかいてこう言った。「あのふたりの小僧はどこにいるのかな。」
ところで、彼はピストルを手にしてポン・トー・シュー街までやって行った。見るとその街路にはもう店は一軒きり開いていなかったが、おもしろいことにはそれが菓子屋だった。まったく未知の世界にはいり込む前になお林檎菓子《りんごがし》が一つ食える、天の与えた機会であった。ガヴローシュは立ち止まり、上衣をなで回し、ズボンの内隠しを探り、ポケットを裏返したが、金は一スーもなかった。彼は叫び出した、「助けてくれ!」
最後の菓子を一つ食いそこなうのは、実につらいことである。
それでもガヴローシュはなお続けて進んでいった。
間もなく彼はサン・ルイ街までやってきた。パルク・ロアイヤル街を横ぎっていると、林檎菓子《りんごがし》を食えなかったことがいまいましくてたまらなくなり、ま昼間芝居の広告を思う存分引き裂いて腹癒《はらい》せをした。
それから少し先で、財産を持ってるらしいりっぱな一群の人々が通るのを見て、彼は肩をそびやかし、感想めいたにがにがしい言葉を吐き出すようにして言った。
「あの金持ちのやつら、妙に肥《ふと》ってるな! 口いっぱいほおばって、ごちそうの中にころがってやがる。いったいその金をどうするのか聞きてえもんだ、自分でも知らねえって、なあに金を食い物にしてるんだ。腹いっぱいつめこんでいやがるんだ。」
二 行進中のガヴローシュ
街路のまんなかで手に撃鉄のないピストルを持って振り回すことが、何か公の務めででもあるかのように、ガヴローシュは一歩ごとに元気になってきた。マルセイエーズを切れぎれに歌いながら、その間々に叫んでいた。
「うめえぞ。俺《おれ》はリューマチにやられて左の足が悪い。だが皆の衆、俺は愉快だ。市民らは用心するがいい、奴《やつ》らを引っくり返す歌を俺が吐きかけてやらあ。刑事が何だい、犬だろう。おい犬どもに一つ敬意を表してやろうじゃねえか。俺はピストルに奴らを一匹ほしいんだがな([#ここから割り注]訳者注 仏語にては、犬という語とピストルの撃鉄という語とは共に同じ chien である[#ここで割り注終わり])。俺《おれ》は大通りからきたんだが、皆の衆、もう熱くなってるぜ、水玉が飛んでるぜ、煮えてるぜ。鍋《なべ》の泡《あわ》をしゃくっていい時分だ。みな進め! きたねえ血で溝《どぶ》をいっぱいにしろ。俺は国のために身をささげてるんだ。もう妾《おんな》なんかには会わねえ、ねえ……うん……そうだ、会わねえ。だがかまわねえ、さあおもしれえぞ。みな戦おうじゃねえか、もう圧制はたくさんだ!」
その時、横を通ってる国民兵のある槍騎兵《そうきへい》の馬が倒れたので、ガヴローシュはピストルを下に置き、その男を起こしてやり、また彼に手伝って馬を起こしてやった。それから彼はまたピストルを拾い上げ、進行を続けた。
トリニー街まで来ると、すべてが静かでひっそりとしていた。マレーに固有なその平然さは、周囲の広い喧騒《けんそう》の中にあってきわ立っていた。四人の上《かみ》さんたちが、ある家の戸口で話し合っていた。スコットランドには三人組みの魔女がいるが([#ここから割り注]訳者注 セークスピアの戯曲「マクベス」中に出てきて、マクベスが未来国王となることを予言した女たち[#ここで割り注終わり])、パリーには四人組みの上さんがいる。「汝は王たるべし」という言葉は、アルムイールの荒野でマクベスに語られたように、ボードアィエの四辻《よつつじ》で痛ましげにボナパルトに投げつけられたであろう。どちらもほとんど同じ不吉な言葉である。
しかしトリニー街の上さんたちは、自分らの方のことしか頭に置いていなかった。それは三人の門番の女と、籠《かご》を負い鉤杖《かぎづえ》を持った屑拾《くずひろ》いの女とであった。
彼女らは四人とも老年の四すみに立ってるがようだった。老年の四すみとは、凋落《ちょうらく》と腐朽と零落と悲哀とである。
屑屋は卑下していた。この野天の仲間のうちでは、屑屋は頭を下げ門番は上に立つ。それは門番の手中にある掃きだめからくる関係であって、そこにいい物が多いか少ないかはまったく塵芥《ごみ》を掃き寄せる者の手加減による。箒《ほうき》の使い方にも親切さがあるものである。
この屑拾《くずひろ》いの女は、恩を被ってるものと見えて、三人の門番の女に、何とも知れぬ笑顔を作っていた。彼女らは次のようなことを話していた。
「それじゃ、お前さんとこの猫《ねこ》はいつも気むずかしいんだね。」
「そうさ、猫はどうせ犬の敵だものね。苦情を言うのは犬の方だよ。」
「それから私たちもさ。」
「だがね、猫の蚤《のみ》は人間にはたからないっていうじゃないか。」
「犬っていえば、厄介などころか、ほんとにあぶないよ。何でもあまり犬が多くなって新聞に書き立てられた年があったよ。テュイルリーの御殿に大きな羊がいてローマ王([#ここから割り注]ナポレオン二世[#ここで割り注終わり])の小さな馬車を引いてた時のことだよ。お前さんはローマ王を覚えてるかい。」
「私はボルドー公が好きだったよ。」
「私はルイ十七世を知っていた。ルイ十七世の方がいいよ。」
「肉がほんとに高いじゃないか、パタゴンさん。」
「ああ、もうそんなことは言いっこなし、私は肉屋が大きらい。身震いが出るよ。この節じゃ骨付きしかくれやしない。」
その時屑拾いの女が口を出した。
「皆さん、商売の方も不景気ですよ。芥溜《ごみため》だってお話になりません。物を捨てる人なんかもうひとりもいません。何でも食べてしまうんですね。」
「でもヴァルグーレームさん、お前さんよりもっと貧乏な人だってあるよ。」
「そう言えばまあそうですね。」と屑屋《くずや》はつつましく答えた。「私にはこれでもきまった仕事がありますからね。」
ちょっと話がとぎれた。屑拾いの女は、だれにもあるように少し吹聴《ふいちょう》したくなって、言い添えた。
「朝家に帰って、私は籠《かご》の物を調べ、一々|選《え》り分けるんですよ。室《へや》いっぱいになります。ぼろ屑は笊《ざる》に入れ、果物《くだもの》の種は小桶《こおけ》に入れ、シャツは戸棚《とだな》に入れ、毛布は箪笥《たんす》に入れ、紙屑は窓のすみに置き、食べられる物は鉢《はち》に入れ、ガラスの片《かけ》は暖炉の中に入れ、破れ靴《くつ》は扉《とびら》の後ろに置き、骨は寝台の下に置くんですよ。」
ガヴローシュは彼女らの後ろに立ち止まって、耳を傾けていた。
「おいおい、」と彼は言った、「お前たちが政治の話をしたって何になるんだい?」
すると彼は、四人から口をそろえて攻撃された。
「また浮浪漢《ごろつき》がきた!」
「何の切れ端を持ってるんだい? おやピストル!」
「何だって、乞食《こじき》の餓鬼が!」
「いつでも政府《おかみ》を倒そうとばかりしてやがる。」
ガヴローシュは軽蔑しきったようなふうで、その仕返しとしてはただ、手を大きく開きながら拇指《おやゆび》の先で鼻の頭を押し上げてみせた。
屑拾いの女は叫んだ。
「跣足《はだし》の悪者!」
前にパタゴンさんと言われてそれに答えた女は、いやらしく両手をぱたりとたたいた。
「これは何か悪いことが起こるんだよ、きっと。髯《ひげ》をはやしてる隣の乱暴者がね、赤い帽子を小わきにはさんだ若い者といっしょに通るのを、私は毎朝見たんだよ。今日通るところを見ると、腕に鉄砲をかかえていたよ。バシューさんの話では、この前の週に騒動があったとさ、あのー……何とか言った……そう、ポントアーズにさ。それにこのいやな小僧までがピストルを持ってるじゃないか。セレスタンにはいっぱい大砲が置いてあるらしいよ。世の中を騒がすことばかり考えてるこんな奴《やつ》どもにかかっちゃ、政府《おかみ》もやりきれたもんじゃないね。やっと落ち着いてきたのにさ、あんなにひどいことがあったあとでね。おお私は、あのかわいそうなお妃が馬車に乗って通られるところを見たよ! それに騒ぎがあればまた煙草《たばこ》が高くなる。憎んでも足りない。悪者、お前のような奴は首でも切られるがおちさ。」
「鼻がずうずう言ってるぜ、婆さん、」とガヴローシュは言った、「鼻をかむがいいや。」
そして彼は向こうに歩き出した。
パヴェー街まで行った時、屑拾《くずひろ》いの女のことが彼の頭に浮かんだ。彼は独語した。
「革命家を悪口しちゃいけねえぜ、芥溜《ごみため》婆さん、このピストルもお前のためのものだ。前の負い籠《かご》にもっと食えるようなものを入れてやるためだ。」
突然彼は後ろに声がするのを聞いた。それはパタゴン婆さんで、彼を追っかけてき、遠くから拳《こぶし》をつき出して見せながら、叫んでるのだった。
「お前はたかが父無《ててな》し児《ご》じゃないか!」
「そんなことか、」とガヴローシュは言った、「俺《おれ》は毛ほどにも思ってやしねえ。」
それから少しして、彼はラモアニョン旅館の前を通った。そこで彼は呼び声を上げた。
「戦に出かけろ!」
そして彼は突然|憂鬱《ゆううつ》に襲われた。あたかもピストルの心を動かそうとしてるかのような非難の様子で、ピストルをじっとながめた。
「俺は戦に出発するんだが、お前は出発しないんだな。」と彼はピストルに言った。
一匹の犬は他の犬([#ここから割り注]即ち撃鉄[#ここで割り注終わり])から人の気を散らさせることもある。ごくやせた一匹の尨犬《むくいぬ》が通りかかった。ガヴローシュはそれをかわいそうに思った。
「かわいそうな奴だ。」と彼は言った。「お前は樽《たる》でものみ込んだのか、胴体に箍《たが》が見えてるぜ。」
それから彼は、オルム・サン・ジェルヴェーの方へ進んでい
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