ニーデルというひとりのドイツ人がいるのを見て人々は注意し合った。この男はその後百歳近くまで生きながらえたが、以前一七七六年の戦争([#ここから割り注]アメリカ独立戦争[#ここで割り注終わり])にはいって、トレントンではワシントンの下に戦いブランディーワインではラファイエットの下に戦ったことがあった。
そのうちに、川の左岸には市の守備騎兵が動き出して橋をさえぎり、右岸には竜騎兵がセレスタンから現われてきてモルラン河岸に沿って展開した。ラファイエットの馬車を引いていた者らは、河岸の曲がり角《かど》で突然それに気づいて、「竜騎兵だ、竜騎兵だ!」と叫んだ。竜騎兵らはピストルを皮の袋に入れ、サーベルを鞘《さや》に納め、短銃を鞍《くら》側につけたまま、陰鬱《いんうつ》に期待するところあるかのように、黙々として馬を並み足に進ましてきた。
小さな橋から二百歩の所で彼らは止まった。ラファイエットの馬車がそこまで行くと、彼らは列を開いて馬車を通し、そのあとからまた列を閉じた。その時竜騎兵らと群集とは相接した。女たちは恐れて逃げ出した。
その危急な瞬間に何が起こったか? だれもそれを言うことはできないであろう。それは二つの黒雲が相交わる暗澹《あんたん》たる瞬間である。襲撃のラッパが造兵廠《ぞうへいしょう》の方に聞こえた、とある者は言い、ひとりの少年が竜騎兵を短剣で刺した、とある者は言う。事実を言えば、突然小銃が三発発射されたのであって、第一発は中隊長ショーレを殺し、第二発はコントレスカルプ街で窓を閉じていた聾《つんぼ》の婆さんを殺し、第三発は一将校の肩章にあたった。ひとりの女は叫んだ、「おや[#「おや」に傍点]、もう始まった[#「もう始まった」に傍点]!」その時突然、兵営の中に駐屯していた一個中隊の竜騎兵が、抜剣で馬をおどらして現われ、バソンピエール街からブールドン大通りを通って前にあるものを追い払いながらやってくるのが、モルラン河岸の向こう側に見えた。
その時事は定った。暴風は荒れ出し、石は雨と降り、小銃は火蓋《ひぶた》を切った。多くの者は河岸の下に飛びおり、セーヌ川の小さな支流を渡った。その小川は今日では埋まってしまっている。ルーヴィエ島の建築材置き場は、でき合いの大きな要塞《ようさい》となって、戦士らが群がった。石は引き抜かれ、ピストルは発射され、防寨《ぼうさい》は急造され、追いまくられた青年らは棺車を引きオーステルリッツ橋を駆けぬけて市の守備兵を襲い、重騎兵は駆けつけ竜騎兵は薙《な》ぎ立て、群集は四方に散乱し、戦の風説はパリーのすみずみまでひろがり、人々は「武器を取れ!」と叫び、走り、つまずき、逃げ、あるいは抵抗した。風が火を散らすように、憤激の念は暴動を八方にひろげていった。
四 沸騰
およそ暴動の最初の蜂起《ほうき》ほど異常なものはない。すべてが各所で同時に破裂する。それは予期されていたことであるか? しかり。それは前もって準備されていたことであるか? 否。それはどこから起こってくるか? 街路の舗石《しきいし》からである。それはどこから落ちてくるか? 雲からである。ある所では反乱はあらかじめ計画された性質を帯び、ある所ではとっさに起こった性質を帯びる。だれということなくそこに居合わした男が、群集の流れを我が物にして望みどおりにそれを導く。その発端は、一種の恐るべき快活さが交じった驚駭《きょうがい》のみである。初めはただ騒擾《そうじょう》であり、商店は閉ざされ、商品の陳列棚は姿を消す。次には時々銃声が聞こえ、人々は逃げ出し、家の正門は銃床尾で乱打される。人家の中庭では女中らがおもしろがって、「騒動がもち上がるのよ[#「騒動がもち上がるのよ」に傍点]!」という声が聞こえる。
十四、五分とたたないうちに、パリーの各所でほとんど同時に起こったことは、おおよそ次のようなものだった。
サント・クロア・ド・ラ・ブルトンヌリー街では、髯《ひげ》をはやし髪の毛を長くした二十人ばかりの青年が、ある喫煙珈琲店《エスタミネ》にはいり込み、やがて間もなく出てきたところを見ると、喪紗《もしゃ》のついた横の三色旗を一つ押し立て、その先頭には武装した三人の男が、ひとりはサーベルを持ちひとりは小銃を持ちひとりは槍《やり》を持って進んでいた。
ノナン・ディエール街では、腹がでっぷりして、声が朗らかで、頭が禿《は》げ、額が高く、黒い頤鬚《あごひげ》をはやし、なでつけることのできない荒い口髭《くちひげ》をはやしてる、相当な服装をしたひとりの市民が、通行人に公然と弾薬を配っていた。
サン・ピエール・モンマルトル街では、腕をあらわにした数名の男が黒い旗を持ち回っていた。その上には白い文字が読まれた、「共和かしからずんば死[#「共和かしからずんば死」に傍点]。」ジューヌール街、ガドラン街、モントルグイュ街、マンダル街などには、旗を打ち振ってる群れが現われた。旗には金文字で数字づきの区隊[#「区隊」に傍点]という語が見えていた。それらの旗の一つは、ほとんど赤と青ばかりで、白はその間に小さく見えないくらいにはいってるだけだった([#ここから割り注]訳者注 三色旗の白は王家の章、赤と青はパリー市の章[#ここで割り注終わり])。
サン・マルタン大通りの兵器廠《へいきしょう》は略奪され、次にボーブール街とミシェル・ル・コント街とタンプル街とで三軒の武器商店が略奪された。数分間のうちに、たいてい皆二連発の二百三十の小銃と、六十四のサーベルと、八十三のピストルを、無数の群集が奪って持ち出した。なるべく多くの者に武装させるため、ある者は銃だけを取り、ある者は銃の剣だけを取った。
グレーヴ河岸と向かい合った所では、火繩銃《ひなわじゅう》を持った青年らが、女ばかりの家に陣取って発火した。そのひとりは燧金銃《ひうちがねじゅう》を持っていた。彼らは呼鈴《ベル》を鳴らし、家の中にはいり、それから弾薬を作りはじめた。女らの一人はこう話した。「私は弾薬とはどんなものだか知らなかったのですが[#「私は弾薬とはどんなものだか知らなかったのですが」に傍点]、夫がそれを教えてくれました[#「夫がそれを教えてくれました」に傍点]。」
ヴィエイユ・オードリエット街では、一群の者がある古物商の店に闖入《ちんにゅう》し、トルコの刃や武器を奪った。
銃殺された石工の死体が、ペルル街に横たわっていた。
それからまた、セーヌの右岸左岸、河岸通り、大通り、ラタン街区、市場《いちば》町などには、労働者や学生や区隊の者など息を切らしてる人々が、宣言書を読み、「武器を取れ!」と叫び、街燈をこわし、馬車の馬を解き放し、街路の舗石《しきいし》をめくり、人家の戸を打ち破り、樹木を根こぎにし、窖《あなぐら》の中をさがし回り、樽《たる》をころがし舗石や漆喰《しっくい》や家具や板などを積み重ねて、防寨《ぼうさい》を作っていた。
人々は市民にも助力を強請した。また女ばかりの家にはいり込み、不在の夫のサーベルや銃を奪い、白墨でその戸口に、「武器徴発済[#「武器徴発済」に傍点]」と書きつけた。ある者は銃とサーベルの受領証に「名前」を署名し、「明日区役所に取りにこい[#「明日区役所に取りにこい」に傍点]」と言いおいた。また往来で、孤立してる兵や区役所に行く国民兵らの武器を奪った。将校の肩章をもぎ取った。シムティエール・サン・ニコラ街では、国民兵の一将校が、棒や竹刀を持った群集に追っかけられ、ようやくにしてある人家に逃げ込んだ。しかし彼はそこから、夜になって変装してでなければ出ることができなかった。
サン・ジャック街区では、学生らが群れをなして宿から出てきて、サン・ティヤサント街へ行ってプログレー珈琲《コーヒー》店にはいり込み、あるいはマテュラン街へ行ってセー・ビヤール珈琲店にはいり込んだ。どちらも入り口には、標石の上に若い男らがつっ立って武器を配っていた。トランスノナン街の建築材置き場は、防寨を作るために略奪された。ただサント・アヴォア街とシモン・ル・フラン街の交差点だけでは、住民らが抵抗して自ら防寨を破った。ただ一つの場所では暴徒の方が後退した、すなわち彼らは、国民兵の一支隊に銃火を浴びせた後、タンプル街に作り始めた防寨を捨てて、コルドリー街の方面へ敗走した。支隊はその防寨の中に、一本の赤旗と一包みの弾薬と三百のピストルの弾丸とを拾った。国民兵らはその旗を引き裂き、破片を剣の先につけて持ち去った。
われわれがここに相次いで徐々に述べてる事柄は皆、あたかもただ一つの雷鳴の中にひらめく多くの電光のように、広い騒擾《そうじょう》のうちに市中の各所で同時に起こったのである。
一時間足らずのうちに、市場町の中だけでも二十七の防寨《ぼうさい》が地面にできた。その中央には有名な五十番地の家があった。それはジャンヌとその百六人の仲間の要塞《ようさい》であって、一方にはサン・メーリーの防寨を控え、一方にはモーブュエ街の防寨を控え、アルシ街とサン・マルタン街と正面のオーブリー・ル・ブーシェ街と、三つの街路を指揮していた。また直角をなしてる二つの防寨は、一つはモントルグイュ街からグランド・トリュアンドリーの方へ折れ曲がっており、一つはジョフロア・ランジュヴァン街からサント・アヴォア街の方へ折れ曲がっていた。その他パリーの二十の街区やマレーやサント・ジュヌヴィエーヴの山などに、無数の防寨ができた。メニルモンタン街にあった防寨には、肱金《ひじがね》からもぎ取られた大きな門扉《もんぴ》が見えていた。オテル・ディユーの小橋のそばにあった防寨は、馬を解き放してひっくり返した大馬車でできていて、警視庁から三百歩の所にあった。
メネトリエ街の防寨では、りっぱな服装をした一人の男が働いてる者らに金を分配していた。グルネタ街の防寨では、騎馬の男がひとり現われて、防寨の首領らしく思える者に金包みらしいものを手渡しした。「これは入費や酒やその他の代だ[#「これは入費や酒やその他の代だ」に傍点]」と彼は言った。襟飾《えりかざ》りをつけていない金髪の青年が、各防寨の間を駆け回って命令を伝えていた。剣を抜き青い警官帽をかぶったもひとりの男は、方々に哨兵《しょうへい》を出していた。各防寨の内側では、居酒屋や門番小屋などが衛舎に変わっていた。その上この暴動は、きわめて巧妙な戦術によって按配《あんばい》されていた。狭くて不規則で曲がりくねって入り組んでる街路がみごとに選まれていた。ことに市場付近はそうであって、各小路は入り乱れて森の中よりも更に紛糾した網の目を作っていた。「人民の友」の仲間がサント・アヴォア街区で反乱の指揮を執ってるという噂《うわさ》もあった。ポンソー街で殺されたひとりの男の死体をさがすと、パリーの図面がポケットから出てきた。
しかし実際この暴動の指揮を執っていたものは、空中に漂ってる言い知れぬ一種の精悍《せいかん》な気であった。反乱はにわかに一方の手で防寨《ぼうさい》を築き、一方の手でほとんどすべての要所をつかんでしまった。三時間足らずのうちに、燃えひろがる導火線のように、暴徒は各所を襲って占領した。セーヌ右岸では、造兵廠《ぞうへいしょう》、ロアイヤル広場の区役所、マレーの全部、ポパンクール兵器廠、ガリオト、シャトー・ドー、市場付近の全市街、またセーヌ左岸では、ヴェテランの兵営、サント・ペラジー、モーベール広場、ドゥー・ムーランの火薬庫、市門の全部。午後の五時には、バスティーユやランジュリーやブラン・マントーも暴徒の手に帰した。その偵察兵《ていさつへい》はヴィクトアール広場に達し、フランス銀行やプティー・ペール兵営や中央郵便局などを脅かしていた。パリーの三分の一は暴動の中にあった。
各方面で戦闘は猛烈に行なわれていた。そして敵の武器を奪い、人家の中を捜索し、武器商の店に直ちに侵入したために、戦《いくさ》は投石に始まったが次いでは銃火をもってするに至った。
晩の六時ごろ、ソーモンの通路は戦場と化した。暴徒はその一端におり
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