想は知力の逸楽である。思索を追ってその後に夢想を据えるのは、食物に毒を混ずるに等しい。
 マリユスは読者の記憶するとおり、まずそういう道をたどっていった。情熱が襲ってきて、ついに彼を対象のない底なき夢幻のうちにつき落としてしまった。家を出るのはただ夢を見に行くためばかりである。無用のものを産むばかりである。騒擾《そうじょう》と沈滞との淵《ふち》である。そして仕事が減ずるとともに、欠乏は増加していった。それは自然の法則である。人は夢想の状態にある時、必然に放埒《ほうらつ》となり柔惰となる。弛緩《しかん》した精神は張りつめた生活を保つことができない。そういう生活態度のうちには、善と悪とが混在している。柔弱は有害であるとしても寛大は健やかで有益だからである。しかしながら、働くことをしない寛大で高貴で貧しい人はもはや救われることができない。収入の源は涸《か》れ、必要のものは多くなる。
 それこそ致命的な坂であって、最も正直な者も最も堅固な者も、最も弱い者や最も不徳な者と同じくすべり落ちて、ついには二つの穴のいずれかへ、自殺か罪悪かのいずれかへ陥るのほかはない。
 夢想しに行かんがために家をいで
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