゙女が自分の手から離れ脱し逃げ出したのを見、万事は雲のごとく水のごときものであったのを見た時、そして眼前に、「彼女の心は他の男に向いている、彼女の生涯の希望は他の男にある、他に恋人があって自分はただ父に過ぎない、自分はもはや存在しない、」という痛ましい証拠を見た時、そして今はもはや疑う余地もなくなった時、そして、「彼女は自分の外に逃げ出している、」と自ら言った時、彼が感じた悲しみはほとんどたえ難いものであった。今まであらゆることを忍んできたのは、ただこういう結果に達せんがためだったのか、ただ無に終わらんがためだったのか! その時、前に言ったとおり、彼の全身は反抗の念に震え上がった。彼は毛根の中にまで自我心が激しく目ざめ来るのを感じた。彼の内部の深淵《しんえん》のうちに自我は咆哮《ほうこう》の声を揚げた。
 内心の崩壊というべきものが世にはある。絶望的な明白な事実が人の内部に侵入し来る時には、常にその人の本質とも言える深い要素をも、分離し破らないではおかない。そういう深い悲しみは、本心のあらゆる軍勢を潰走《かいそう》させる。それこそ致命的な危機である。この危機から平然と脱して、義務のうち
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