くして政治的思索家の目に現われ来るものは次のことである。
 疲れたる人間が休息を求むると同時に、遂げられたる事実は保証を求むる。事実の保証は、人間の休息と同一事である。
 摂政(クロンウェル)の後にイギリスがスチェアート家に求めたところのものはそれであり、帝政の後にフランスがブールボン家に求めたところのものはそれである。
 それらの保証は時代が必要とするところのものである。りっぱに与えてやらなければならないものである。君主たる者がそれらを「欽定《きんてい》する」。しかし実際それらを与うる者は事物必然の力である。これは深き真理であり、知って有益なる真理である。しかしこの真理を一六六〇年にスチェアート家は寸毫《すんごう》だも知らず、一八一四年にブールボン家は念頭に浮かべだにしなかった。
 ナポレオンが覆滅した時フランスに帰ってきた宿命的なブールボン家は、嘆くべき単純な考えをしか持っていなかった。すなわち、与うる者は自分である、そして自分が与えた所のものはこれを再び取り戻すことを得ると。ブールボン家は神法を持っている、しかしフランスは何物をも持たない。ルイ十八世の憲法の中で国民に譲り与えた政
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