ついた。あらゆる考えは消えてしまった。ある敬虔な行ないをしてるようにも思われ、ある冒涜《ぼうとく》なことを犯してるようにも思われた。その上彼は、自分の胸に感ずるその麗わしい婦人の身体に対して、少しの情欲をもいだいていなかった。彼はただ愛に我を忘れていた。
 彼女は彼の手を取り、それを自分の胸に押しあてた。彼はそこに自分の手記があるのを感じた。彼は口ごもりながら言った。
「では私を愛して下さいますか。」
 彼女はわずかに聞き取れる息のような低い声で答えた。
「そんなことを! 御存じなのに!」
 そして彼女はそのまっかな頬《ほお》を、崇高な熱狂せる青年の胸に埋めた。
 彼は腰掛けの上に身を落とした。彼女はそのそばにすわった。彼らはもはや言うべき言葉もなかった。空の星は輝き出した。いかにしてか、二人の脣《くちびる》は合わさった。いかにしてか、小鳥は歌い、雪はとけ、薔薇《ばら》の花は開き、五月は輝きいで、黒い木立ちのかなたうち震う丘の頂には曙《あけぼの》の色が白んでくる。
 一つの脣《くち》づけ、そしてそれはすべてであった。
 ふたりとも身をおののかした、そして暗闇《くらやみ》の中で互いに輝く
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