t老人にはだれもほとんど注意を向ける者はいなかったが、老人はやはり一群の中に交じっていたのである。彼は居酒屋の階下の広間にはいって、勘定台の後ろに座を占めて、そこで言わば自分で自分を埋没さしてしまった。もはや何物をも見も考えもしていないかのようだった。クールフェーラックと他の数名の者は、二、三度彼のそばに寄ってゆき、危険を知らせ、帰ってゆくように勧めたが、彼にはその言葉も聞こえないかのようだった。人から話しかけられない時には、だれかに返事でもしてるように脣《くちびる》を動かしていたが、人が何とか言葉をかけると、その脣はすぐに動かなくなり、その目はもう死んだもののようになった。防寨《ぼうさい》が攻撃さるる数時間前から、ずっと一定の姿勢を保ったままで、両手の掌《てのひら》を両膝《りょうひざ》につき、絶壁の下をのぞき込むがように頭を前に差し出していた。どんなことがあっても彼はその姿勢を変えず、心は防寨の中にはないかのようだった。各人が戦闘位置についた時、その下の広間に残っているのはただ、柱に縛りつけられたジャヴェルと、サーベルを抜いてジャヴェルの番をしてるひとりの暴徒と、後はマブーフだけだった。攻撃のいっせい射撃があった時、彼はようやくその物音を耳にして我に返ったかのようで、突然立ち上がり、室《へや》を通りぬけ、アンジョーラが「だれも出ないか」と繰り返した時に、ちょうど居酒屋の入り口に現われていた。
彼の姿は一群の間に感動をひき起こした。ある者は叫んだ。「あれは投票者だ([#ここから割り注]訳者注 ルイ十六世の処刑に賛成の投票をした者[#ここで割り注終わり])、国約議会員だ、人民の代表者だ!」
おそらくその声も、彼の耳にははいらなかったろう。
彼はまっすぐにアンジョーラの方へ進んで行った。暴徒らは深い畏敬《いけい》の念でその前に道を開いた。彼は惘然《ぼうぜん》としてあとに退《さが》ったアンジョーラの手から、軍旗を奪い取った。そしてだれもあえてそれを止めることも手伝うこともできないうちに、八十歳を越えたこの老人は、頭を打ち振り、しかも確乎《かっこ》たる足取りで、防寨の中につけられてる舗石《しきいし》の段を徐々に上りはじめた。いかにも痛ましいまた壮大な光景であって、周囲の人々は叫んだ、「脱帽!」一段一段と上りゆく彼の姿は、恐ろしいありさまだった。その白い頭髪、老衰した顔
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