轤ネい所にある。ゆえに譲歩はすべて不可である。人間に関する侵害はすべて廃さなければならない。ルイ十六世のうちにはいわゆる神聖なる権利があり、ルイ・フィリップのうちにはブールボン家なるがゆえに[#「ブールボン家なるがゆえに」に傍点]が([#ここから割り注]家がらの特権が[#ここで割り注終わり])ある。両者は共にある程度まで、権利の簒奪《さんだつ》を代表している。そしてあらゆる簒奪を掃蕩《そうとう》せんがためには、彼らをも打ち倒さなければならない。フランスは常に先頭に立つものであるから、それが必要である。フランスにおいて主君が倒れる時には、至る所において、それが倒れるであろう。要するに、社会的真理を打ち立て、玉座を自由の手に還《かえ》し、民衆を本来の民衆たらしめ、大権を人間に戻し、緋衣《ひい》を再びフランスの頭にきせ、道理と公正とをその円満なる状態に返し、各人を本来の地位に復せしめながらあらゆる頡頏《けっこう》の萌芽《ほうが》を根絶し、世界の広大なる一致に王位がもたらす障害を除き、人類を正当なる権利の水準に引き戻すこと、これ以上に正しい主旨があろうか、また従って、これ以上に偉大な戦いがあろうか。かかる戦いは平和を確立するところのものである。偏見、特権、憶説、虚偽、強請、濫用《らんよう》、暴行、不正、暗黒、などの巨大な城砦《じょうさい》は、なおその憎悪の塔を聳《そび》やかして社会の上に立っている。それを打ち倒さなければならない。その奇怪なる塊《かたま》りを破壊しなければならない。アウステルリッツにて勝利を得るのは偉大なることである、バスティーユの牢獄を占領するのは広大なることである。
 だれでも自身に親しく感ずることではあるが、魂こそは、普遍性と統一性とをともに有する驚くべきものであって、最も危急なる極端にあっても、ほとんど冷然と推理し得る不思議な能力を有するものである。そして慟哭《どうこく》せる感情と深い絶望とは、その最も悲痛な独語の苦悩のうちにあってもしばしば、問題を取り扱い論議するものである。論理は痙攣《けいれん》と相交わり、論法の緒《いとぐち》は思想の痛ましい動乱のうちにも切れることなく浮かんでくる。マリユスの精神状態はちょうどそういうところにあった。
 かく推理し、圧倒せられ、しかも意を決し、しかもなお躊躇《ちゅうちょ》しながら、一言にして言えば、まさになさんと
前へ 次へ
全361ページ中323ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング