sつぎ》をあてた事変とを見、太陽に多くの汚点と月に多くの穴とを見、至る所にかくも多くのみじめさを見る時、僕は神も富有ではないと推察するのである。いかにも神は体裁を飾ってはいるが、しかし僕はその困窮を感じる。空《から》っぽな倉庫をかかえてる大商人が夜会を開くように、神は革命を起こしてやるのだ。外観のみで神々を判断してはいけない。空の金色の下に僕は貧しい宇宙を見て取る。万物のうちには破産が潜んでいる。それゆえ僕は不満なのだ。どうだ、今日は六月の五日だ、しかもまだほとんど闇夜《やみよ》だ。朝から僕は白光を待っている。しかしまだそれは到来していない。今日中には到来しないと僕は誓って言う。給金をよくもらってない奉公人があてにならないのと同じだ。確かに何事もよく整ってはいない。何一つ調和してるものはない。この古ぼけた世の中はすっかりゆがんでいる。僕はすべてに反対する。一つとしてまっすぐに動いてるものはない。世界は拗《す》ねている。ちょうど子供と同じだ。ねだる子はもらえず、ねだらぬ子が皆取る。要するに僕は腹が立つんだ。それにレーグル・ド・モー、僕は君の禿頭《はげあたま》を見るのも心苦しい。君の薬鑵頭《やかんあたま》と同じ年齢《とし》かと思うと僕は屈辱を感ずるんだ。もとより僕は批評はする、しかし侮辱はしない。世界はありのままの世界だ。僕は今、何ら悪意をもって語るのではない。自己の良心の荷を軽くせんがために語るのではない。永遠の父なる神よ、わが深き尊敬を受け入れよ。ああ、オリンポスの諸聖者よりまた天国の諸神より、僕はパリーっ児に作られてる者ではない。換言すれば、二枚の羽子板の間の羽子《はね》のように、遊民と暴民との間を常に行ききするように作られてる者ではない。貞節の士の夢のごとき淫逸《いんいつ》美妙なエジプトの舞踏を東方の蓮葉女《はすっぱおんな》らがやるのを、終日ながめて暮らすトルコ人のように僕は作られてるのだ。あるいは肥沃《ひよく》なボースの農民のように、あるいは淑女にとり巻かれるヴェニスの貴人のように、あるいはまた、兵士の半ばをドイツ連邦に貸し与えて、暇な時間をその垣根すなわち国境の上で靴足袋《くつした》をかわかすのに使うあのドイツの小侯のように、僕は作られてるのだ。そういう宿命に僕は生まれたのだ。それだ、僕はトルコ人と言った。それを取り消しはしない。トルコ人と言えば普通悪くばか
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